2008年7月16日水曜日

サンタクルスからカンポグランデへ その2

08/06/14(土)

・真夜中のトイレ休憩
・たてゆれ、よこゆれの悪路続き
・乗り換え、また乗り換え

バスが止まる。それまでのリズムが変わったことに気づき、目が覚める。時計を見ると真夜中の12時。窓から外を見下ろすと店があり、添乗員がなにやら言っている。客がぼちぼち降りる。どうもトイレ休憩らしい。バスには便所がないから、夜が明ける前の最後のトイレタイムなのだろう。

20分ほどしてバスは走り始める。道は相変わらずの悪路。縦に細かく揺れ、ときおり横にゆらりゆらりと大きく揺れる。これじゃ運転も大変だ。速度はわりと平らな道で、やっと時速40km程度だろう。だから、地図で見た距離感よりもずっと時間がかかる。もちろん沿道に外灯などはなく、ただバスのライトのみが道を照らしている。

2人ぶんの座席が使えていることがせめてもの救いで、これが隣に人が座っていたら、かなり窮屈だ。加えてそれほど寒くもないから、なんとか眠ることはできる。

次に目が覚めたのは、7時すぎ。集落や畑などはいっさい見えず、ただ低い草木が道路脇からずっと奥まで生い茂っているのが見えるだけ。

しばらくするとがたがたの道の横に広い道が見える。現在、整備中の道路のようできれいにローラーで整地されている。サンタクルスまでのこの道路が完成するのはいつのことやら。

整地されている道路は走れないらしく、相変わらずバスがガタゴト揺れながら走る。道自体はだいたいまっすぐに伸びているからいいものの、これが曲がりくねった道だったら酔っていたかもしれない。

8時頃、ようやく人が住んでいる集落に到着。そこで、何人か客が降りる。さらにそこで子ども連れの10人近くが乗ってくる。5歳前後の小さな子はバスを見ると嬉しそうな顔をしてバスに走りより、一番で乗り込もうとする。

集落の家々はコンクリートづくりもあれば、細長い板を縦に並べて、屋根は椰子の葉か何かで葺いているものもある。敷地と敷地は有刺鉄線で区切られ、バスから見える限りではどこの家も20m四方程度の敷地の中に家を建て、数本の木を植えている。いずれの木も大きく、その下にテーブルと椅子を並べのんびりしていたり、また洗濯物をかけるロープを張り、物干し場として使っている家もある。また、一部の家ではバナナも植えられていた。

その集落を出て、また30分ほどすると別の集落に到着。ここでまた客が降りる。あるおばちゃんは商売人なのか、サンタクルスで買い込んだらしいお菓子やみかんなど大荷物と一緒に降りていった。

ボリビア側の国境の町Puerto Quijaroに着いたのは9時半頃。さすがに国境のまちらしく、商店が立ち並び、タクシーがあちらこちらと走り回っている。

駅舎の近くのバスターミナルにバスは停まる。荷物を降ろし、サンタクルスから一緒だったサンパウロに行くおじさんと一緒に行動する。

ターミナルの建物は使っているかどうかもわからないほどおんぼろで、ブラジルに行くバス会社の窓口さえもない。つまりはただの駐車場。

サンタクルスのバス会社のねえちゃんは、ここに着いたらこの会社に行ってとブラジル行きのバスを出している会社名を教えてくれたのだが、それらしきバスはまわりには一切見えないし、バス会社さえも見えない。

おじさんが地元の人にいろいろ聞いたところ、バス会社はどうもここから離れているらしい。おじさんはぼくにタクシーに乗っていくとあっさり言うが、当然、そのタクシー代は別に払わないといけないわけで、ボリビア以外の国の常識から言ってもまったくありえない話だ。なんでバスを乗り換えるためにタクシー代を払わねばならないのだ、とイライラ。

しかも、タクシーの若い運転手は一人10ボリビアーノと言う。1人10ボリビアーノなんてバカに高い値段なのに、おじさんは、ハイハイと乗り込んでしまう。まぁ、10ボリというには相当遠いのだろうなと思っていが、10分足らずでバス会社に着いた。やれやれ。

バス会社のオフィスはなかなかきれいで、同じ通り沿いには食堂や洋服屋、電話兼ネット屋があった。

バス会社のオフィスに入り、窓口のおじさんにチケットを見せると、パスポートの提示を求められる。それで、名前を確認し、パソコンになにやら入力してから返してくれる。

返すときに、そこにボリビアのイミグレがあるからそこで出国のスタンプを押してもらってくるよう言われる。オフィスにでかいリュックは置いて、イミグレに行く。出国税として10ボリビアーノ払う。手続きはスムース1分もかからずに済む。

バス会社に戻ってチケットをもらう。バスは13時だと言われる。時計はまだ11時前。3時間もあると思い、近くのネット屋でメールチェック。

メールを見ていたら後ろから声がして振り向くと、バス会社のおじさんがいた。それで来いというので、店をでると、あのバスだと言って、会社の前に停まっていたバスを指さし乗るように言う。

13時発って言ってたのに、とわけがわからなかったが、バスに乗り込む。

バスはかなり立派。だが、2階立てではない。窓もボリビアのようには開かない。

ボリビアの出国ポイントを抜けると、すぐに舗装されたまちが現れる。国境の向こうは舗装された道なんてほとんどなかったのに。ブラジルでは端っこのまちだろうに、これだけ整備されている点にブラジルの大国ぶりが出ているように感じる。

まちの整備のされ方のみならず、人もがらりと変わる。ボリビアでは基本的にインディヘナ系が多数だったが、こちらに来るとアフリカ系の人がおり、ヨーロッパ系も多い。

バスは1時間もせずにCorumbaのターミナルに着く。ここでまた乗り換えらしい。

ブラジルの入国審査をまだ通ってなかったので、どこでやるのかと不思議に思い、運転手にイミグレの場所を聞くと、指さしてあっちの方と言う。

ターミナルの待合い所に上がると、行列ができている場所があったので、なにをしているのか覗いてみると、そこがイミグレだった。

一緒に来たおじさんは、椅子に座ってのんびりしていたので、おじさんに単語を並べてあそこで入国手続きをしなくてはいけない旨を伝える。

窓口のおじさんは、英語で入国カードのようなものをもらい、それを記入してからまた来るようにと説明してくれる。パスポートは窓口で回収されたまま。

英語が併記されていたその紙を記入し、窓口に行くと名前を呼ばれる。紙を提出し、そこにハンコが押されパスポートと一緒に戻される。質問もなにもなし。

今日は天気がよい。そして、暑い。20℃台半ばくらいか。ボリビアではずっと曇りや雨だったから久しぶりに青空を見た。

13時発というのは、ここを13時に出るということのようだった。まだ1時間近くあったため、待合い所でポルトガル語の会話帳を眺める。周りからポルトガル語の会話が聞こえてくるが、まずどこで言葉が切れているのかがわからない。スペイン語であれば、発音が日本語とほぼ同じであるため、意味はわからずとも言葉の切れ目はわかったが、ポルトガル語はこれがわからない。

音としてはスペイン語よりもフランス語に似ている。ただ、会話帳を眺めると、スペイン語とほぼ同じ言葉を多々見かける。数字なんかは改めて覚えなくても、ほぼわかる。

面白いのが、曜日の呼び方で、これはスペイン語とまったく違う。土曜日(サバド)と日曜日(ドミンゴ)は一緒だが、月曜から金曜は日本語で言えば、2番目(セグンダ)、3番目(テルサ)、4番目(クアルタ)という呼び方をしている。あまり風流ではないなと思いながら、ページをめくる。

日本式に、どちらが標準でどちらが方言か言えないが、見ている限りでは、スペイン語とポルトガル語はそのような関係だ。文字がけっこう違う部分があるが、これは発音にあわせて開発されたのだろう。

日本語でも例えば置賜弁の「い」と「え」、「お」と「う」が混ざった音など、各地の方言の音を文字にしようとすると平仮名では不十分だと感じたりする。それらの音を表す文字がない。

山口仲美という学者によれば、古くは日本語も50音以上の音があり、またそれを表す文字もあった(漢字などで使い分けていた)らしいが、もし、そういう習慣ありそれぞれの地域に定着し、受け継がれていれば、今のスペイン語とポルトガル語のような関係の言語が日本国内に生まれていたかもしれない。

などと、時間つぶしをしていたら、13時前にきっちりバスが入ってきた。ぼくは離れて座っていたおじさんにあれに乗るからととジェスチャーで知らせる。するとおじさんは一緒に乗り込もうとする。

バスはカンポグランデ行きであって、サンパウロ行きではないということを伝えようとするが、おじさんはいまいちわかってくれない。そこへ近くでそれを聞いていたらしいおばさんがやってきて、おじさんに説明してくれる。

チケットに書いてあった番号の席に座ると、イギリスなまりの英語を話す女性2人組が、ぼくの方を見てなんだか嫌な顔をする。ぼくは自分が座席を間違ったかと思い、確認するが間違いはない。彼女らは隣の空いている席に座ったので、こちらは間違っていなかったかと思ったが、さらに乗り込んで来た別の男が、彼女らの席に行き、そこは自分の席だと言う。連鎖して彼女らはぼくに、そこは私らの席だと英語で言ってくる。

聞くとぼくと同じ番号。やれやれ、ボリビアのバス会社ってやつはろくでもないなと思いつつ、争う気もないので、ぼくは空いている席に移る。

そしたら、そこにまた別のカップルが来て、そこは自分らの席だという。この調子じゃ、どうせ全席が埋まるなんてことはないんだから、どこでも適当に座ればいいじゃないかと思うが、そうはいかないらしい。ペルーとか、チリとか、アルゼンチンは番号があってもけっこう適当だったんだけどなぁ。

バスはまちを抜けると、細い一本道に入る。道の両側には湖のような、川のようなところが広がる。あとで確認したところ、これがパンタナール湿原の南端の方を通ったようだった。

水の中から木々が伸び、見たことのない鳥が元気に飛び回っている。一際目を引いたのが、ペリカンに似た格好をした鳥。羽など胴体は白いものの首もとが赤く、そこからくちばしの先までは黒い。あとでガイドブックを見たところ、地元ではトゥユユと呼ばれており、コウノトリの仲間で、パンタナールの象徴的な鳥らしい。

一本道沿いには小さなホテルがあり、そこでヨーロッパ系バックパッカーたちは降りていく。

他の国ではたいてい車内で映画が流されていたりしたが、このバスではテレビはあるものの、そのようなものはなかった。車内は静粛だった。

ずいぶん長い間、湿原の中を走り、ようやく陸地らしいところに入る。

日が落ち、すっかり暗くなる。

19時を過ぎて、遠くにたくさんの明かりが見え、ようやくカンポグランデに入った。空港で1人、乗客が降りる。

道路沿いには開いている店などなく、すっかり夜中のような雰囲気だ。

ターミナルに着いたのが20時すぎ。バスから降りるとタクシーの運転手のおじさんが、サンパウロに行くのかと聞いてくるので、そうだと伝えるとバス会社のオフィスに連れていかれる。そこで片言の日本語がわかる人がサンパウロ行きのバスを照会してくれるが、手持ちのヘアルではまったく払えない金額だったのでヤメにする。

ターミナルのすぐ前に宿が数軒並んでいて、うち1軒がユースホステルだったので、そこに泊まることにする。片言もおぼつかないポルトガル語で泊まりたい旨を伝えると、鍵をくれ、英語で部屋の説明をしてくれる。

ドミトリーの安い部屋をとお願いしたら、ここにはドミトリーはないと言われる。部屋はベッドがひとつと、トイレ、シャワー、洗面所、天井備え付けの扇風機があり、とてもいい。これが一番安い部屋らしい。値段は35ヘアル(約2500円)。ボリビアで泊まっていた宿の5倍。ただ、YHの会員証を持っていると言ったら30ヘアルに割引となった。1割以上も割引するなんて素晴らしい。チリもアルゼンチンも見習ってほしいものだ。

ターミナルのまわりには宿だけでなく、軽食屋や食堂があり、また路上で串焼きを売っていた。たいして腹は減ってなかったため串焼き1本だけ食べる。1.5ヘアル。数分だけ外をふらつき部屋に戻る。

シャワーはお湯が出る。すばらしい。扇風機があったので、サンタクルスでたまった洗濯物を洗い、部屋中に干す。

小さな窓の外からは花火の音が聞こえてくる。小さな窓はガラスの外側に雨戸のような金属製の扉が付いていた。3階で足場もなさそうだから、ここから侵入するにはけっこう大変なようだが、これも防犯に必要なのだろう。

Fin

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