2008年7月16日水曜日

カンポグランデの郷土料理を食べにいく

08/06/15(日)

・人がいない休日
・柔術大会
・豊富な雑誌
・市場
・そば、やきそばーフェイラ・セントラ
・日系の人とおしゃべり
・サンパウロへバスで移動

すっかり熟睡。寝苦しいかと思いきやそんなこともなかった。洗濯物があまり乾いていなかったのが予定外。

朝飯付きだったので、8時過ぎに1階に降りて朝食。パンやコーンフレーク、すいかなどなかなか豪華。

10時頃、宿を出て、宿とターミナルの間にあるインフォメーションで当地の郷土料理について聞く。スペイン語が通じたのでスペイン語まじりで”SOBA"について聞く。すると、"Feira centra(?)"というところがあって、そこで食べられるということだった。

レアル(ブラジル語ではヘアルと発音する)がなかったため、ATMを探しにまちなかに行く。あるいて10分ほどいったところが中心部だった。商店が並んでいていくつか開いている店もあるが、ほとんど閉まっている。本屋が開いていたのでのぞいてみたら、雑誌の種類の多さに驚く。ファッションものからITものまである。しかも『Made in Japan 日本製』という日本を専門に紹介する雑誌もあった。やはり大国だ。

その通りをまっすぐ歩いていくと、マイクを通した人の声が聞こえてきたので、そちらの方に行ってみると道路脇の半地下の建物の中で柔術の大会が開かれていた。フットサルのコートにマットを敷いて、その上で試合をしている。

観客も多い。試合をしているのは小学生くらいの子から高校生くらいの子までの男ばかり。中には誰でも入れたので、しばらく見学。柔術は初めて見たが、なんだかレスリングぽい印象を受ける。

それからATMを発見したのでそこでカネをおろす。

宿のチェックアウトが12時だったので、いったん宿に戻るする事にする。来た道とは違う道を通っていたらたまたま市場を発見。それほど大きくない建物の中に民芸品から野菜から香辛料からいろんなもんの小さな店が入っている。

12時が近かったためほとんど素通り。沖縄系の名前のついた八百屋があったが来客中だったためしゃべれず。

まずは宿に戻り、荷造り。洗濯物も乾いていた。荷物は宿に預け、バスのチケットを買いに行く。20時発のサンパウロ行きの夜行バスは134ヘアル(約7000円)。

それから昼飯も兼ねてさっきの市場に再度行く。すると市場は入り口にシャッターが降りていて、すでに閉まっていた。どうも午前中だけの営業だったよう。

しょうがないのであたりをふらつき、開いていたスーパーを見学。チーズの種類が豊富。あとピクルスっぽいものも多種類ある。客は多く、レジは長蛇の列。

その後、ソバを食べにフェイラに向かう。途中、中心街を通ったが、見事に店は閉まっていて、人通りもほとんどない。

フェイラは鉄道駅の駅舎か何かを改造したらしい建物の中に飲食店が並んでおり、壁にはYakimeshi,Sobaといったメニューがかかっている。

どうもここの飲食店はすべて日系の人がやっているよう。従業員もハッピを着ている。昼飯がまだだったので、ここでそばを食べる。ソバは沖縄ソバだが、沖縄で食べたことのある沖縄ソバとはまた違っていた。

一目見た感じでは三食丼のような感じで、スープも麺もまったく見えない。味も異なっており、初めての味だがまぁまぁいける。これがここのスタイルのソバらしい。

ここの店の店員3人ほどは日系人だったが、料理の注文などすべてブラジル語だった。

その後、もう一軒寄ってみようと別の店に入る。そちらの店では店主らしい日系の男性がメニューを持って迎えてくれる。見た目40代前半くらいの人で、メニューを手渡しながら、日本人ですかと聞いてくる。そうです、と伝えると、テーブルを案内してくれ、そこに一緒に座り、おしゃべりが始まる。

玉城さんというらしく、ブラジル生まれのブラジル育ち。日本には1995年前後の数年間出稼ぎで住んでいたらしい。そのときはずいぶん稼がせてもらったとのこと。大阪に住んでいたらしく、阪神大震災も経験したらしい。日本語は普段使わないらしく、ちょっとたどたどしい。語尾に”○○な?”とつくのが、大阪っぽい。

ぼくが持っていた会話帳を見せると面白がって見てくれる。ただ、日本語は読む方はほとんどできなくなっているらしい。

ここの店は週休3日でやっていて、今日は夕方6時くらいまで営業しているという。

二人で話していたところへ日系のおばちゃんがやってくる。農産物をここで売っている人だそうで、玉城さんとも取引があるらしい。その取引の関係でノートでなにやらやりとりしているが、すべてブラジル語の筆記体のためまったく読めず。おばさんが書く字も豪快というか雑というか、こちらの人が書くような字と同じような字体。

おばさんもこちらで生まれ育ったらしく、二人のやりとりはもちろんブラジル語。日本語はだいぶ忘れてしまったようで、玉城さんはぼくと何か話すとそのやりとりを彼女にブラジル語で伝えている。

おばさんはぼくに、今、自分は64歳だが、日本に行ったら仕事はあるか、と聞いてくる。その質問には意表を突かれた。白髪交じりだからけっこう年齢は高いだろうと思い、まさかこれから出稼ぎに行こうなんて考えているとは思わなかった。もちろん本気で思っているわけではなさそうだったが、ほんとに条件が良ければ行きそうな迫力はあった。

焼きそばとアセロラジュースを頼んだら焼きめしをサービスしてくれた。焼きそばは中華系のどろっとした感じの焼きそばで具も多く、食べごたえあり。ジュースは500mlほどのビーカーのようなプラスチック容器に入って出てきた。玉城さんがふとした表紙にカップをひっかけ倒してしまう。焼きめしはちょっと不思議な味で、これまで食べたことのないものだった。塩気が足りないのもあるし、何か全体的にしまりがない感じ。

客はけっこう入っていて、どの店も賑やかだった。

まちを見て回っても人もいないし、店も開いていないので、腹が膨れたところで宿に戻る。バスがもっと早いのがあればそちらに変更しようと、バス会社に行くとちょうど17時台のバスがあったので、それに変更。

宿に預けていた荷物を受け取り、ターミナルに行く。ターミナルのカフェのテレビではサッカーブラジル代表とパラグアイ代表の試合をしていたので、店の端の方からテレビをのぞき見。ブラジル人も何人か同じようにして見ている。ドゥンガが監督をしていたのだが、これがパラグアイに2点も取られてしまいずっと劣勢だった。

試合の終了を見届ける前にバスが入ってきたので、結果を見ることなく乗車。

ブラジルのバスもご飯が出るのかと思っていたら、なかった。後予想外だったのが車内の寒さ。エアコンもきいて炒るみたいだったが、えらく冷える。


Fin

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