2008年7月6日日曜日

アスンシオン、サンタクルスへ

08/06/07(土)

7時頃起床。しばらく『なんでも見てやろう』を読む。朝飯はなし。昨日の肉がまだ腹にたまっている。

荷造りをして、宿主に頼まれていた宿への一言を書いた紙を提出。また、借りていた自転車の鍵も返す。

その際、ボリビアのサンタクルスにこれから行く旨を伝えると、ラパスやスークレ、オルーロなどに行くバスは軒並み止まっているということを教えてくれる。この宿に昨日着いた人がアルゼンチンのサルタからボリビアに行こうとしたら、そういう状況だったらしい。

ゲゲッと思い、ルート変更を少し考える。だが、サンタクルス行きのバスについては、知らないようだったし、地図上では、アルゼンチンからラパスなどに行くときに通る国境・道路とサンタクルスに行くときに通るそれとは違う。それに、2日前にアスンシオンのバスターミナルで聞いたときは、毎日、バスは出ているということだったので、きっとぼくが行くルートは大丈夫だろうと思い、予定通りのルートで行くことにする。

10時前に宿を出る。宿では、ちょうど味噌汁のにおいがしていて、他の宿泊者たちが朝飯を食っていた。良い旅を!、いってらっしゃい、などと言われながら、宿を出る。

幹線道路沿いに出て、バスを待つ。アスンシオン行きのバスは1時間に1本はあると言っていたが、それが何分頃に来るのかはわからない。なので、1時間待ちも覚悟していたのだが、15分ほど待ったところでバスが来た。

右腕を横に挙げて、止まるよう合図する。止まったバスは2階建ての立派なバスで、これは運賃が高そうだなと思ったが、とにかく乗り込む。

すると座席はすでに満席だったようで、入り口にもおじさんが大きな荷物を持って立っていた。その中にぼくも加わる。
ぼくの後からもう一人、日本人的な顔立ちをした白髪のおじいさんが乗り込んでくる。なので、入り口の踊り場は満杯。

そのおじいさんはさっさとドアを開け、1階の座席があるところへ入っていた。ぼくは入り口のところに立っていたのだが、しばらくして一緒に立っていたおじさんが中に入ったらというので、ぼくも白髪のおじいさんと同じく中に入る。

さっきのおじいさんは通路に立っていて、それに並んでぼくも立つことになった。座席は満杯。

並ぶとおじいさんが話しかけてくる。イグアスに住んでいるのかとか、日本のどこからなのか、など。聞くとそのおじいさんは普段はラパス(パラグアイの移住地の一つ)に住んでいるらしい。鳥取の倉吉出身で、大工をしていたらしい。それで敗戦後、パラグアイに渡ってきたという。最初の頃は、みんな家を建てないといけないから、ずいぶん仕事が多かったらしい。移住してきたときが20歳頃だというから70歳は越えているよう。

おじいさんが立っていたところ、右奥の座席の40歳くらいのおじさんが、そのおじいさんに座るよう自分の席を譲る。その前にもおじいさんが立っていた横に座っていた30代くらいの女性がおじいさんに関を譲ろうとしたのだが、そのときは断っていた。おじいさんは座席に座る。ぼくとの間に、席をゆずったおじさんが立つことになってしまったのでしばらく話は中断。

その間、ぼくの隣に座っていたおじさんが、ぼくにどこから来たのかと聞いてくる。彼はボリビア人かとまず聞いてきて、頭を振ると、今度はコリアンかと聞いてくる。今、おじさんと日本語で話していたのに、ボリビア人か?はないだろうと思ったが、ボリビアに住んでいる日系かと思ったのだろうか。もっともボリビア人のインディヘナ系の人らは一部の日本人と顔立ちがよく似ているが。

窓の外には広大なトウキビ畑や牛の放牧地が見え、民家の中には敷地内にはみかんの木を植えているのが見える。

1時間ほどして着いたまちで何人か客が降りたので、ぼくも席にあり付ける。その際には、空いた席の横に座っていたおじさんが、"Amigo,toma(アミーゴ、座ったら)"と空いた席を指さし教えてくれた。

おじいさんの近くの位置に座ることになったので、またおしゃべりが始まる。

おじいさんは身長は155cmくらいで小さいが、白髪ではあるものの髪はふさふさしている。歯は見る限り右に1本あるだけ。なかなかの饒舌でアスンシオンに着くまでひっきりなしに話をしてくれたのだが、バスのエアコンの音とタイやの音がうるさく、さらにおじいさんの声が小さいのと、言葉が日本語とスペイン語のちゃんぽんになるため、1~2割ぐらいしか聞き取れなかった。無念である。

日本語で話しかけてきたので、聞こえない言葉も日本語だろうと思っていたのだが、時折”No sabe(知らない)"とか"comprar(買う)"とかいう単語が聞こえるし、数字は軒並みスペイン語だったので、途中でスペイン語と日本語が混ぜこぜになっていることに気づく。

以下、聞き取れたことを少し。戦争が終わったとき、おじいさんは中学生だったらしい。これが旧制中学なのか、今でいう中学かはわからない。倉吉からも広島に原爆が落ちたときの光が見えたという。その光が見えてからは、空を飛ぶアメリカの飛行機の数は少なくなったらしい。

パラグアイへの移住の話は、雑誌『家の光』で見たという。なぜ移住をしようと思ったのかについては、聞き取れず。

おじいさんは、なぜかノーベル賞がどうのという話をする。断片的に聞き取れたことをつなぎあわせて考えると、どうも津波を正確に探知するような技術を開発できればノーベル賞ものだと言っているよう。それについてしゃべるときのおじいさんは、手を動かし、体を動かして、これをこうしてこうしたらこうなるなどと言う(言っているよう)。そして、パンと手を叩いて”そうだろう?”と聞いてくる。

そうだろう?、はわかったので、ぼくはハイと答えるが、実際は何を言っているのかほとんどわかっていなかったのだった。

そうこうしているうちに外の景色が変わり、建物ばかりの地帯に入る。改めてアスンシオンに来てみると、確かにパラグアイでは大都市だなと感じる。

おじいさんは、ターミナルに着く前に街角でそそくさと降りる。

ターミナルに着いたのは2時半ごろ。予想よりも早かった。ボリビアのサンタクルス行きのチケットを探す。この間、20米ドルくらいの安いチケットを売っていた窓口に行ったのだが、どうもぼくの聞き間違いだったようで、実際は55米ドル=22万グアラニーだった。

どこも同じ値段だったので、飯などがついているというバス会社のチケットを買う。ここでは最初から米ドルで値段を言ってくるので、米ドルでカネも支払う。55米ドル。なかなか高い。

バスの発車予定時刻は20時。それまでの間、ターミナル内やまわりをうろうろする。ターミナル内では相変わらずチーパを売っているおばさんや民芸品を売ってるグアラニー族らしいおばさんたちが数名いる。

夕方、ターミナル近くの路上にあった屋台でチョリパン(ホットドッグのようなもの)を買う。3500グアラニー(約90円)。チリやアルゼンチンのホットドッグは、ソーセージがあの化学物質がたくさん入っているような偽物ソーセージだったが、ここのは本物っぽい。

道ばたでそれを頬張っていると、ジュース売りのおばさんが近くに寄ってくる。右手にジュースを入れたプラスチック製の容器、左手にプラスチック製のコップを持っている。そして、独り言のように、ピーニャ(パイナップル)とナランハ(夏みかん系の柑橘)を混ぜたうまいジュースだと言う。

ぼくはこれから長距離バスに乗るから、これを飲んで腹を壊すのを警戒し、しばらく無視していたのだが、おばさんがジリジリとさらに近づいてくるので、とりあえず値段を聞いた。1杯1000グアラニー(約30円)というので、まぁ、一杯くらいいいかと飲む。味はいまいち。ピーニャとナランハは混ぜない方が味がしっかりしていていいと思うなぁ、などと考えながら、ゆっくり味わいたいような味ではなかったので一気飲みする。

それでまたパンの方を食べていると、どっかへ行ったはずのジュース売りのおばさんがまた目の前に現れ、これまた独り言を言うようにさらにもう一杯とすすめてくる。これも一旦断るが、それを気にすることなくコップにジュースを注ぎ始める。

しょうがないなぁ、と思いながら、もう一杯一気に飲み干す。やっぱり好みの味ではない。

その後、ターミナルに戻り、余ったグアラニーを米ドルに変える。このときは1米ドル=4100グアラニーだった。

待合い室のテレビでは音楽番組が流れていた。椅子に座り、しばし『逝きし世の面影』を読む。

19時半頃、バスの乗車場に入る。16か17番乗り場にバスが入ってくるということだったが、これがいつになっても現れない。バスは何台か入ってきたが、どれもぼろい国内用のバスのようだったし、フロントガラスにはサンタクルスの文字はなかった。

ついに20時を過ぎてしまった。なので、もしやアルゼンチンのときのように、フロントガラスには別の行き先が書かれていたりするのかもしれないと思い、止まっているバスにとにかくサンタクルスに行くか聞いてみる。

ヨーロピアンらしいリュックを背負った人が乗り込んだ1台のバスの運転手に聞いたところ、違うという。そうしてふらふらしていると、入り口の警備員が声をかけてくる。チケットを見せると、なんだかんだと言う。たぶんグアラニー語が母語なのだろう、彼のスペイン語はほとんど聞き取れず。ただ、出発するというスペイン語は聞こえた。

そこへもう一人バス会社の人なのか、おじさんがやってきて、何事か聞く。警備員のにいちゃんが事情を伝える。するとおじさんは携帯電話でなにやら電話を始めた。そして、電話の後、そこで待つように言う。

待っていたらすぐにチケットを買った窓口にいたおじさんが現れる。そして、"Vamos"と言って、一緒に来るように言う。車に乗ってバスを追いかけるのかとも思ったが、ターミナルを出ると、通りでバスが停まっていた。おじさんはあのバスだと言う。

チリとアルゼンチンでは国境越えのバスというと立派な2階建てのバスなどだったので、ぼくはアルゼンチンから乗ってきたような2階建てのきれいなバスばかりをチェックしていたのだが、このバスの外観はそのチェック網から見事に外れるような外観をしている。

しかも、車体に書いてある会社名とチケットにある会社名が違うし。

まぁ、とにかく乗り込むことができ、一安心。バスに乗り込むと久しぶりに見る人たちが乗っていて、みな晩飯の弁当というか、バス会社がサービスで出している飯を食っている。

ぼくは適当に後ろの席に座る。

バスはアスンシオンのメインストリートを通る。まだ8時過ぎなのに人通りはほとんどない。この間行ったショッピングモールの駐車場だけはほぼ満車だった。

しばらく待っていてもぼくには弁当が出てこない。もしや最初に乗りこんだ人数ぶんしか用意されていないとか。などと考えていたら、バスが停まる。窓からは交差点で車の窓拭きを仕事にしているらしい10代くらいの子どもたちが4~5人見える。

バスが再び走り始めると、添乗員のにいちゃんがこちらに歩いてきた。晩飯についてちょっと聞いてみようかと思っていたら、にいちゃんがこれと言ってあつあつの食い物をくれる。

紙のトレイに半身の鶏肉とマンジオカ(別名キャッサバ)が乗っている。鶏は今まで焼かれていたようで熱いが、マンジオカは冷えている。どうもさっき停車している間に買ったらしい。意外にしっかりしている。

バスの中では例のごとくDVDの映画が上映されるが、後方のテレビは壊れているらしく画面が上から下へと流れる。

乗客は20人ほどで、隣に人はいなかったので2人ぶんの席を使えた。夜の寒さを心配したが、20度前後でちょうどいいくらいだったので、その心配は杞憂だった。

二つの座席に横になり、星空を見ながら寝る。

Fin

1 件のコメント:

かぶ さんのコメント...

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!