2008年2月14日木曜日

メキシコシティのきれいな街並み?-メキシコシティ4日目

2008.2.12(火)

昨日降っていた雨はあがり、すっかり快晴。朝方の気温は15℃程度だが、日中には28℃くらいまで上がる(持参している温度計によれば)。

実質、今日が最後のメキシコシティ滞在の日。明日はバスでここから見て東南にあるチアパス州のサンクリストバル・デ・ラスカサス(以下、サンクリと略)に行くので。

そのため、今日はまずは明日の予行演習。9時過ぎに宿を出て、サンクリまでのバスが出る東バスターミナルに行く。メキシコシティには東西南北の4つのバスターミナルがあり、それぞれ中心部からは地下鉄でだいたい20~30分くらいのところにある。ちなみにグアナファトからメキシコシティに来たときは北バスターミナルに着いた。

東バスターミナルには2本の地下鉄が乗り込んでいるので、ここからは大きく2通りのルートがある。一つは一旦中心部に南下してから東に行く地下鉄に乗り換えて行くルート。もう一つは北上してから東南に下る地下鉄に乗り換えて行くルートだ。

地下鉄のルート地図を見た限りでは南下した方が早そうだが、9時といえば通勤時間。きっと満員電車だろうと思い、北上ルートにする。

地下鉄の駅に着いてチケットを窓口で買う(2ペソ)。ホームに入るとやはり中心部に向かう方は、満員電車だった。待っている人にも1本見逃している人もいる。

北方面の行きは十分空いていて思惑が的中。へへ、と思いながら、これから行くキューバなどに向けての準備についてあれこれ考える。

そしたらいつの間にか乗換駅を2駅も通り過ぎていたことに気づき、あわてて降りる。結局、満員電車に乗る羽目に。

満員の程度は隣の人と体は接触しないものの、体を動かせばぶつかるくらい。

乗換駅で降り、東に行く地下鉄の路線に乗り換える。こちらはほんとにすかすか。ぼくが乗った車両は、3人ほどしか乗っていなかった。

10分ほどでバスターミナル最寄りの駅に着く。バスターミナルと地下鉄の駅は通路でつながっており、案内表示に従って行けば、すんなりとバスターミナルの待合室に出る。

ここもでかい。北よりも新しいのかきれいで、バスの待機台数もちょっと数えただけで100台はある。

地下鉄の改札を出て3分ほど歩くと、バス会社のカウンターがあるところに出る。円形になっており、真ん中にはファーストフードのコーナーがあり、その周り取り囲むように360度各会社の窓口がある。

バスのチケットを買う方法も大きく3種類ある。一つは、直接バスターミナルに行ってそこでバス会社を選び、買う方法。それから、主要なバス会社をカバーしている総合窓口で買う方法(ネット上で予約可)。それから、市街地などにある旅行代理店で買う方法。この3つ。

ぼくは一番目の方法ばかり。旅行会社は手数料がかかるから時間があれば交通費を考えても高くなる。

各会社とも行き先の表示はそこそこしているが、目的のバスが見あたらない。1社サンクリストバルとあったので、聞くとデ・ラスカサスではないらしい。そこの人が別の会社の名前を教えてくれたので、そっちに行く。そこの会社の掲示板(というかテレビ)を見ても、それらしき行き先が描いていないので、窓口の女性に聞く。

するとパソコンで検索してくれ、それをメモに書き移してくれた。一番早い便が12時半。乗車時間は13時間で788ペソ(約8000円)。けっこう高い。日本と同じくらいじゃないか?

それだけ聞いて、今度は日本大使館に向かう。例のメキシコ再入国の件を確認するためだ。

最寄りの駅でおり、途中、バス代を払うために両替する。昨日よりもいい1ドル=10.63。昨日とは違う銀行だったが、ここはIDの提示は求められなかった。

地図を見るとアメリカ大使館と日本大使館は隣同士のようだった。アメリカ大使館は星条旗が見えたので、すぐわかったが、日本大使館の方は旗も出てなく、地図上の位置にはただビルがあるだけ。

ビルに入ってすぐに入館者をチェックしている人がいるので、英語でここに日本大使館があるか聞くと、そのおじさんは日本語で「タイシカン?」と聞いてくる。「あ、そうです」と言うと、「ココニカイテクダサイ」と入館者記録表みたいなものを出す。

それに目的地(大使館)と自分の名前、人数、日付を書き、最後にIDをと言われたので、パスポートを見せ入る。「ヒダリ エレベーター サンカイ」と言われ、右のエレベーターに乗ると3階には止まらないエレベーターだった。なんだエレベーターを降りて左じゃなくて、左のエレベーターに乗れってことだったのね。

エレベーターを降りると右に日本大使館の入り口があった。自動ドアが開き、メキシコ人にしてはでかい180cmくらい年輩の守衛の人が、笑顔で迎えてくれ、「ニモツヲオネガイシマス」と言われる。

荷物を渡すと空港にあるのと同じ機械でチェックされ、ぼくも金属反応をチェックする例の機械を通る。

入って右側に窓口があり、20代くらいの日本人女性がいた。ことの次第を話し、キューバからメキシコに入るときにチケットは必要かを訪ねる。

すると「(なくても)大丈夫じゃなですか」とあっさり言われる。あんた「じゃないですか?」って何よ。と思いながら、問題になった例がないか聞くと、首をかしげる。まぁ、大丈夫そうなので、それだけ聞いて出ようとすると守衛さんに止められる。

なんだか窓口の方に手を向け、「ドウゾ」と言うのでもう用事は終わったと言うが、また「ドウゾ」と言うので、窓口の方を見ると、すみませんって感じでこっちを見てる。

窓口に行くと、さっきの人が「やっぱり問題になるときがあるそうです」と言う。やっぱり・・・

その人の上司らしき女性が、代わりに説明してくれる。キューバで登場拒否されることはないと思うが、チケットを持っていないとメキシコを出国する意志がないと見なされ、入国審査のときにもめることがあります、と彼女は言う。

陸路で出ることを言えば、クリアできるのかと聞くと、実際に陸路で出られるので、ちゃんと説明できれば大丈夫だと言う。

入国審査の人は英語は通じるのか聞くと、それは人によるらしい。そうなんだよねぇ、けっこうああいう審査は人によるんだなぁ。

ま、これで2500ドルの日本行きのチケットは買わないことに決定。あとは英語とスペイン語で説明できるよう準備するだけだ。

一件落着したので、腹が減ってきた。中心部に向けてぷらぷら歩いている途中にあった屋台で飯を食う。23ペソ(約250円)。

それから革命博物館に行く。ここも説明はスペイン語のみ。トロツキーもいいけど、こういうところに英語を付記してほしいと思うのは、言語帝国主義になるだろうか。

ここも親子連れや高校生くらいの子が来ている。ぼくがいた時間で20人くらい来館者がいる。親子連れもいて、子どもはしっかりとノートと筆記用具を持ってきている。

それから中米の地図を買いに市街地の本屋を回る。アラメダ公園近くの本屋はスペイン語の本ばかりで、かつ地図はメキシコのばかり。

ただスペイン語ー日本語辞書が100ペソ(約1000円)だったので買う。日本の辞書と比べると作りはおもちゃみたい。

ちなみに本屋やスーパーに入るときはかばんを入り口で預けなければならない。かばんと代わりに番号札をもらうので、帰りにそれと荷物を交換する。これはベトナムでも一緒。

本を買った本屋はかなり厳重で、買った本を店のビニール袋に入れ、袋の口をホッチキスで留め、そのときにレシートも一緒に留めた。ここまでやるところは初めてだった。

ちなみに日本に関係しそうな本は、パッと見た限り『GEISYA』と書かれた単行本が一冊目に入った程度。マンガはおいていない。キオスクみたいなところではアニメに関する雑誌があったが。

その後、ヨーロッパ的な街並みが残る通りに行く。同じ宿に泊まっていた人が、そこに行ってこんなところがメキシコにあるのかと驚いたと言って、ぜひ行けとすすめられていた。

ぼくはグアダラハラで衝撃を受けていたので、彼らほど驚かなかったが、それでもこれほど広い地帯をここまで造りこんでいるとはと驚く。

しかもメインストリートは宝石街になっていて、なんとも複雑な因果を感じる。中米の金銀を求めて当時のスペインが入ってきたわけだが、中心街のまんなかにこれらの店があるのは、当時のなごりなのか? ここにある金銀はどこから来たものなのだろうか?

その後、1681年から100年以上かけて作られたというメトロポリタン・カテドラルを見る。天井まで15mはある巨大な建物。

ガイドブックによれば、この地にはアステカ最高神をまつった神殿があったという。それをコルテスが破壊させ、その石材を使ってこの神殿を作ったという。しかも実際の労働はいわゆる先住民の人々がやったらしい。こうしたことはメキシコ全土、それからグアテマラのマヤ民族の地でもなされたらしい。

グアダラハラにしてグアナファトにしても、その街並みなどをみて、ヨーロッパみたいできれいだった、なんてことで済ませていいものか。

これだけの街並みやこれだけの建築物が残っているということは、それだけ植民地として支配されていた期間が長かったということであり、それだけ1つのこと(教会の建築など)に人やカネをつぎ込める力を持っていたということだろう。

しかも、いまやメキシコは90%の人がカトリックだという。宿の近くの教会でも毎朝ミサが行われており、教会を通り過ぎるときに立ち止まり十字をきっている人もいる。

多くの人(約60%)が、先住民とスペイン系白人の混血=メスティソだから、これらの人々は先祖にカトリック教徒がいたのであろうが、90%ってのはほんとか?

いずれにしてもそれだけスペインの支配が徹底していたということだろう。

この後、例のごとく適当にふらつく。やはりメキシコシティはでかい。この間とは違う地域に行ったが、やっぱり服屋ばかり。あと建物の中はひたすらウェデイングドレスとスーツの店が集まっており、軽く100店は越えている。

渋谷や原宿にある服屋をぜんぶ地上に並べたらこんな感じになるんじゃないか、と思うくらい多いし、そこそこ選択肢もある。

この他、歩いた範囲では車の修理屋や部品屋が集まっている地域などもあり、いわば専門店街がメキシコシティ内のあちこちにあるようだ。

晩飯はこれまた食堂が集まっている一角で食べる。Pollo(=鶏肉) en Mole(モーレ=ソースの名前)を食べる。

モーレソースは唐辛子や木の実、チョコレートなどを使って作ったもので、メキシコ特有というので、気になっていたものだ。

見た目はイカスミのように黒い。食べる日本で言うとカレーに近い。よく長時間にこんで焦げ茶色になったカレーを出すレストランがあるが、あんな感じだ。ただ、何かがちょっと違う。うまい。35ペソ(約400円)。

それからネットカフェに行き、キューバの宿とジャマイカの宿の検索。キューバについては明日予約することにする。

おしまい。

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