2008.2.16(土) サンクリストバル・デ・ラスカサス3日目
今朝も犬たちのけたたましい吠え声で目覚める。外はまだ夜が明けきっていない。気温は16度くらい。
昨晩、サパティスタの自治区に行くか悩むも、やはり準備が足りないと思い、断念。同じ宿の学生は、自治区に行く予定をしており、昨日は1日中サパティスタの人に聞く質問を辞書をひきひきスペイン語で作っていた。英語は禁止とのことで、彼はスペイン語ができるわけでもないので、質問に対する答えを紙に書いてもらい、それを訳するつもりらしい。日本にいるときからいくつかの本も読んできたらしいので、まぁ、それくらい準備しているなら、その若さもあり、向こうは受け入れてくれるだろう。
ある本によれば、その自治区は今でも(その本が書かれた当時だが)政府の準軍事組織との低強度戦争を継続しているらしい。基本的に行っても問題はないと思うが(日本人のバックパッカーが観光気分で最近、行ったというブログをネットで見たことがある)、そういった先住民の権利等を獲得しようとする運動に共感を覚える身としては、そういう人たちのところに行くなら、こっちも本気で準備しないと失礼だろうということがあり、結局、今回はパスすることにした。
サパティスタURL
http://enlacezapatista.ezln.org.mx/
部屋を出て、日の光が入るリビングみたいなところで、メキシコ関係本を読む。
昨日、宿を変えたいと思ったので、部屋の人等が起きたところを見計らって、荷物をちょっと整理し、13時のチェックアウトまでに帰ってこれる程度の村に行くことにする。
壁にあった地図におすすめの市として紹介してあったNachig(ナチーグ)に行くことにする。
これまた4人ぐらいの人に聞いて、ようやく乗り合いタクシーのターミナルを発見。乗車してから20分。まだ乗客が集まらない。このまま待っていたらチェックアウトに間に合わなくなるなあ、と思っていたところで、やっと乗客が4人になり、発車。
ぼくは後部座席の左端。隣には先住民の服を着たおじいさんとおばあさん。みかんを食っている。
車は、人混みの中をゆるゆると進む。助手席の客と運転手は友達かのようにしゃべっている。みかんを食べていたおばあちゃんは、皮を開けた車の窓からほいと捨てる。
ぼくはまたもや陽光にやられ、寝てしまう。
30分ほどで、Nachigに着いた。幹線道路沿いに陶器の置物などを売っている露店が出ている。市もこの幹線道路沿いにあるちょっとしたスペースでやっていた。ここも売り子の人は先住民の服を着ている女性ばかり。店は30店ほどで規模は小さい。
売られているのは、鶏の丸焼き(半分に開かれているが)、牛の肉、みかん、すいか、いんげん、じゃがいもなどの野菜、タコス、毛糸のように見える様々な色の
糸、爪切りなどの日常雑貨などなど。
お客はほとんどいない。もう市のピークは終わったのかもしれない。宿の情報でも市はだいたい8時くらいがピークとあった。着いたのが10時過ぎだし、帰っている人たちもいるからそういうことなのだろう。
幹線道路から横に延びている道は、舗装はされていない。その道に沿って家々が立ち並んでいる。ぼくは少しだけ、その辺りをふらふら。
宿がある中心街ではどの家も3mはある壁で囲われていたが、ここはすっかりオープンだ。一応、金網はされているが、入り口は開いている。
ここでも庭先で編む道具を使って一枚の生地を織っている人がいる。舗装されていない道の中でも幹線になっているところだけ歩いたが、どこの家も鶏を飼っており、中には豚もいるところもいる。畑は枯れたトウキビが目立つ他はあまり作物らしきものは見あたらない。
しばらくふらついたら市に戻り、昼飯。タコスの露店で炒り卵などの3種類の具材でタコスを3つ食べる。値段は1つ2.5ペソ。
ただ、これだけでは腹はふくれず。鶏好きのぼくは鶏の丸焼きが気になる。一羽が半分に裂かれて炭火で焼かれており、ここに着いた瞬間から非常に気になっていた。
小さな子ども3人を連れ、売っていたお母さんに値段を聞くと40ペソと言う。値段を聞いた以上は買わなければいけないだろうと、半ば勝手に思い込み(ただ食べたかっただけだが)一羽ぶんを買う。
これを買いますと伝えると、きれいに焼けた鶏をまな板に乗せ、刃渡り10cmくらいありそうな出刃包丁で、モモやムネなどをぶつ切りにする。包丁の切れ味はよく、1発で骨まで断つ。6つほどの固まりに切り分けたものを厚手の灰色の紙(ざら紙と学校では読んでたような紙)に包み、ビニール袋に入れ、そこにサルサソースが入った小さい袋も入れられ、渡される。
この鶏、ここまで大きくなるのに1年近くはかかったろうに。こうして焼かれて40ペソ(約500円=通常の食堂で定食1人分くらい)って、安すぎるだろうに。確かに40ペソあれば、1週間ぶんのじゃがいもは買えそうなんだけど(1kg5ペソくらいなので)、どういうふうに値段を決めているか気になるなぁ。
宿で読んだ本には、アメリカから小麦で作ったトルティージャが入ってきて、地元のトウキビから作る本物のトルティージャは価格競争で苦戦しているという。都会ではスーパーも台頭しているからそことの競争関係の中で、こうした市でも値段を決めているのだろうか? それともご近所の経済状況を勘案して、だいたいみんなが変える値段にしているのだろうか?
ちなみにこの日も、この市にはぼくがいた時間は、外国人らしき人は一人もいなかった。
市をやっている広場の一角で鶏を食う。食い始めて、鶏を一羽ひとりで食べるなんてみんなするのかな、と思い、ちょっと躊躇するが、なかなかうまいので結局完食。少しだけ肉が付いた部分を残し、それは辺りをうろついていた犬にやる。
そこには1時間経らずほど滞在し、帰りのタクシーを拾う。ちょうどサンクリストバルの方に向かうタクシーが通ったので、手を挙げると乗せてくれる。すぐに発車したので、おお、これは珍しい、一人でも乗せていってくれるんだと感動したのも束の間。車は100mほど行ったところでUターンし、市をやっている広場に戻る。
そこでおじいさんくらいの人と窓越しに話し、その人を乗せて、サンクリストバルとは逆方向に車を出す。広場から200mほど行ったところでおじいさんはおカネm払わず降りていった。どうなってるんだろ?
運転手は無線でなにやら話し、また市のある広場に戻る。そこでやっぱりぼくの他に3人拾い、ようやくサンクリストバルに向けて走り出す。
今度もぼくは後部座席の左側。隣には80kgはありそうなおばさんが乗る。このおばさん、完全に脱力していてカーブのときもぜんぜん踏ん張らない。おかげでこちらは鶏で膨れた腹に異常なGがかかり、うっぷ、とはいかなくても、つらい思いをする。もうちょっと踏ん張ろうよ、おばちゃん。
そんなこともあり、帰りは目がぱっちり。途中、花を栽培している畑があり、そこはビニールハウスになっていた。日本のような半円型ではないが、木材や金属性の棒を四角く組み立て、そこにビニールを貼っている。
右手にはキャベツの畑も見え、虫食いはあるものの、きれいに巻いている。
そんなこんなで30分ほどでサンクリストバルに着き、宿に急ぐ。
12時をやや過ぎており、あわててパッキング。
13時前には無事、チェックアウトし、明日乗る長距離バスのターミナルが近いユースホステルに移動。
ここがまたしゃれていて、ドミトリーの部屋に行くのに、中庭を通り、階段を下りしてようやくたどり着く。男女相部屋のようで、でかい白人の女の人ややはりでかい男の人がいる。
チェックイン後、明日のバスの下見。
ここでは1等のバスターミナルと2等のバスターミナルがすぐ近くではあるが違う場所にある。
まず1等のところに行って、窓口の若い女性に値段や乗車時間を聞く。この人はスペイン語がわからない人が嫌いなのか、対応がかなり雑だった。これまで気になる人はいなかったので、感じ悪いなと思ったのは今回が初めて。まぁ、向こうも同じように思っているのかもしれないけど。
それから2等のバスターミナルに行く。行ったらバスターミナルというかただの車庫みたいなところで、バスは道路に並んでいるだけ。誰に聞けばいいのか迷っていると、おじさんが話しかけてくれ、どこに行くのかと聞かれる。
カンクンと答えると明日、11時に出ると教えてくれる。値段は380ペソと1等の630ペソの半額。こっちの方がいいかなと気持ちが傾いたものの、トイレが付いているか聞いたら、ないという。
これはちょっとな、という気分になる。ちょうどさっきから腹の調子が思わしくなくなり、しかもこのバスの移動時間は18時間と言うから、トイレなしじゃちょっと厳しい。
明日の体調で決めることにして、バスの下見は切り上げ、まちの北にある薬草の博物館に行く。
ここはこの地域の先住民の人等がずっと使っていた薬草などを紹介する博物館で、館に入ると薬として使う草木の展示がされている。
その他にもお産の仕方などの展示やその様子を移したビデオの上映などが見ることができる。
お産の仕方が興味深く、女性は膝を床についた状態でする。格好は普段着のまま。そばには産婆に当たる人がいて、その人が取り上げ、洗ったりへその緒を切ったりする。その様子を移したビデオは残念ながらアメリカ英語だったので、ほとんど聞き取れず。しかも素人がナレーターをやっていたので聞き取りにくかったのです。
ただ、展示については別冊の説明用紙が手渡され、これは英語版もある。なので、それを読めばだいたいわかる。ここはローカルな小さな博物館だからスペイン語だけかと思っていたら違った。やっぱりアメリカやヨーロッパからの観光客が多いからか?
そんで、また市場にいきふらふら。歩きながらポップコーンを売っていたおばあちゃんからポップコーンを買う。2ペソ。
それで食堂を除いたらモーレ料理があったので、腹の調子はよくなかったものの、欲求に負けて食す。ここのも甘いようでピリッとからく、なかなか面白い味。
こうしてようやく宿に帰ったのでした。
宿は居心地はいいものの、これまでの宿にあったような共同のロビーみたいなものがなく、22時にはネットがただでできる部屋も消灯。
部屋に戻っても、みんな寝ており、自分のところに電灯があるわけでもないので、22時すぎには寝る。
これらを考えると、グアダラハラのユースホステルが一番よかった。
ちなみにこの日、この宿に泊まっていたアジア系はぼくだけ。中国系の女の人がいたが、英語で友達としゃべっていたので、アメリカ人かも。最近、韓国人旅行者とも会わない。
おわり
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