2008年3月2日日曜日

サンティアゴ・デ・キューバからバラコア(Baracoa)へ

2008.2.28(木)

目覚めたのは夜中の2時。腹に刺すような痛みを感じる。この1か月、衛生的にはやばそうな物を食いつつも、まずまず体調は順調だったのに、やはり来たか。病いは気から、頑張れ体内の微生物(腸内細菌)たちよと言い聞かせながら、しばらく格闘。Let it be.
再び寝る。

6時半前に、部屋に差し込んできた薄明かりで目覚める。6時50分にタクシーを頼んでいたから荷物の整理をする。時間になって玄関に行くと、宿主が起きてきて外にタクシーが来てるか確認してくれる。どうもまだ来ていないようで"Cinco minutos(シンコ ミヌートス=5分待って)"と言う。

奥さんが温かいお茶を出してくれる。痛んでいた腹にお茶が染み渡る。雨はやんだが、曇り空。またすぐにでも降ってきそうな色をしている。

7時前にタクシー到着。こちらに来たときと同じ20代の若い男性が運転手。助手席に乗ると、運転席には朝飯なのかハムを挟んだハンバーガー1個と炭酸のオレンジジュースが1缶あった。

10分もかからずバスターミナルに到着。晴れていれば簡単に歩ける距離だが、この天気なのでタクシーにした。しかし、往復20分程度で10cuc(1200円)は高い。が、同世代だし、まぁ、これで少しでも生活が楽になればと思い、言い値を払う。

今日は、島の北側のバラコア(Baracoa)に移動。行こうと決めたのは昨日の晩。コロンブスの航海日誌にも出てくる土地なので、行ってみることに。『ロンリープラネット』によれば、自然が豊かな地域でハイキングや海水浴に向いており、のんびりできるところらしい。

昨日の夜に決めたので、バスのチケットは取っていない。バスターミナルのチケット売場に行くとぼくの他にもキャンセル待ちをしている人が5人ほど既にいた。みなヨーロッパ系の人。

ぼくもしばらく待つ。その間、ロンリープラネットの英語版を持ったキューバ人のおじさんが話しかけてくる。自分の弟がやっているカーサがバラコアにあって、そこがロンリープラネットにも紹介されていると言う。それでこれからバラコアに行くならそこにぼくの名前で予約をするがいいか、と聞いてくる。値段を聞くと20cucというから予算オーバー。高いとぼくが言うと、バラコアはだいたい20~25cucすると言う。が、そんなことはないことは事前に情報を入手済み。10cucくらいあるとどっかに書いてあった。数度断るとさすがにおじさんも諦めた。

それにしてもどこでロンリープラネットを入手したのだろうか。キューバでは英語の本はカストロやゲバラの本など革命に関する本以外見ないし、そもそも旅行ガイド自体政府が作っている物以外に売っていない。表紙がだいぶ擦れていたので、旅行者がその人にプレゼントでもしたのだろうと考えるのが妥当だろうが、こんなふうに声をかけられたのは初めてだった。

バラコア行きのバスは7時45分発。30分頃から乗車が始まる。35分頃になって、キャンセルを確認できたようで、キャンセル待ちをしていた全員が乗れることに。ラッキー。

隣に座ったのはフランス語を話すおじさま。前の席にはインド系イギリス人。メキシコ人のグループも見える。アジア系はぼくのみ。ハバナでは日本人も多少は見たが、こっちに来るとまったく見ない。それにこちらではまずコリアと聞かれるから、韓国人はそれなりに来ているようだ。そもそもまちを走っているバスが韓国のお下がりのようなので、そういう関係もあるのかもしれない。

車窓からは広大なサトウキビ畑とバナナ畑が見える。あとビニールハウスもまとまったのが2カ所ほど。なにやら葉物を栽培しているようだった。また、ときおりアグロフォレストリーを実践していると思われる畑も見える。林の中にバナナやその他の作物を植えている。

時折見える山々はほぼ禿げ山になっているものもあるが、20mくらいはありそうな椰子やバナナが目立つ鬱蒼とした熱帯特有の山も見える。

約1時間半後の9時15分頃、グアンタナモに到着。5分停車。ここのターミナルはだいぶまち外れにあるようだった。ここで降りたのは2人ほど。

道路はそれなりに整備されていて、揺れもひどくない。だんだんと山の中にバスは入っていく。時折椰子の葉で屋根を葺いている家が見える。が、 かなり稀で、たいていがトタン屋根かコンクリートや煉瓦で造ったの四角い家になっている。また木造の堀建て小屋のような家もある。さすがにぼくが泊まっているような豪勢な家は見ない。家ひとつとっても、キューバ内でかなりの差がある。

電気はどこも通っているようで、電線は張られているし、たいてい屋根にアンテナがついているのでテレビもありそう。

しばし寝る。

起きたら進行方向右手に海が見える。あいにくの曇りだからいまいち海に輝きがない。海辺に出ては内陸に入り、また海辺に出て、今度はくねくね曲がる山道に入る。

どんどん標高が上がっていき、より低い山や川を見下ろせるくらいになる。椰子やバナナ、松の木など樹種は豊富そう。窓からの景色からすると標高は数百mくらいか。

途中見た川では網を張って漁をしている人たちが4人ほどいた。キューバで、というか、メキシコを含めても川で魚を捕っている人を見るのは初めて。ここの川は流量は少なくどこでも川底が見えている。見た目は水はきれい。川幅は見た中で一番大きくても10mくらい。

ツアーなのかなんなのか、チャリ(マウンテンバイク)でこの山道を登っている人たちを見る。10人くらいいたので、何かのグループのよう。20代くらいの人もいるが50代くらいに見える人もいる。みなヨーロッパから来た観光客のよう。バスの中では窓も開かないし、あいにくぼくが座ったところはトイレの最寄りの席のため便所臭い。外の空気を吸いながらチャリを漕ぐのは気持ちよかろう。

12時、山道の途中で休憩。民家のトイレが休憩場所になっているよう。バスを降りるとチョコレートと名前不明のものをその家の人らしき人が売りに来る。

チョコレートも名前不明のも3つで1cuc。なんでいきなりチョコなのかと思ったが、どうもこの州ではカカオの生産が盛んでチョコも作っているよう。

両方とも買う。名前不明のはまだ腹に不安があったので後回し。チョコは食ってみるが、ぼくの好みの味じゃない。味からするとカカオの比率は40%くらいで、味はアメリカのハーシーに似ている。なんか余計なものが入りすぎているようで、ぼくの基準からすると2度は買う必要はない程度の味だった。

名前不明のものは椰子の葉らしきものを逆三角垂状に巻いた中に甘く煮込んだココナツの繊維が入っていた。色は濃い飴色。ちょっと甘過ぎて、とても3つも食べられない。のちにこの日、泊まった宿の人に2つあげたが、これはとてもおいしいのよと言って、すぐに食べはじめた。だから、この辺ではわりと一般的なお菓子のよう。

10分間、そこには停車。くねくね道をまた走り、13時20分バラコアに到着。

みんな宿を予約していたようで、名前を書いた紙を持って待っている人が5~6人いる。ぼくも客引きにきたおばさんに声をかけられる。おばさんと言ってもけっこう若い。30代後半くらいか。

値段を聞くとタクシー代込みで15cucと言われる。まぁ、それならとOKする。宿までは三輪自転車のビシタクシー。15分ほどで宿に到着。中心街に近い。

家に入るとすぐにリビングありSUMSUNGのコンポから音楽が流れている。右手の部屋がぼくの部屋。中に入ると6畳くらいの部屋の中にダブルベッドが一つにシングルベッドが1つ。鏡台があり、部屋の入って左側にシャワーとトイレがある。床はむき出しのコンクリート。

窓は道路に面していて開けられるようになっており、扇風機もエアコンもある。エアコンは他の家と同様、相当型が古い。エアコン本体の厚さが50cm近くあり、あまり掃除してそうでもないので、かけると余計空気が悪くなりそう。もっとも朝晩は20度台前半になるので、いらないけど。

シャワーの使い方などを一通り教えてもらい、例のごとくパスポートを渡す。そしてサインをする。早速、ジュースが出る。パイナップルの味がしっかりするジュースでうまい。

宿を出てまちを散策。5万人に満たないまちということで、中心市街地の店舗数も少ない。サンティアゴやハバナにあったようなアディダスのようなブランドの店はないし、本屋も1~2店舗くらいしか見ない。観光地ということで、カフェは10カ所近くある。

インターネットができる電話局もあるが、6台中試した5台はすべて日本語が読めない。これまでは少なくとも半分は日本語が読めるパソコンがあったのに。ヨーロッパ系の人はメール書いたりできていてうらやましい。ジャマイカの宿から返事が来ているようなのに「□」になっていて読めない。

市街地から50mほどのところが海岸。ここでも馬車や三輪自転車が人々の足になっている。馬車はたいていがい満席。こうした乗り物もいつか自転車が安くなって、みんなが個々に移動できるようになったら消えるのだろうか。

小さなまちだからか、これまで行ったまちよりも人々の話し声や笑い声がよく聞こえる。雰囲気としては一番おっとりしている。砂浜では何かのスポーツチームなのか、10人くらいの女の子がコーチらしき男の人の指示で腕立て伏せをやっている。

すぐ近くにあるスタジアムでは草野球をやっている。キューバの草野球はとにかく打つのを楽しむようなやり方をしている。具体的にはピッチャーは早い球を投げたりせずに、小学生並みの緩いボールばかり投げている。

そもそもキャッチャーをつけられるほど道具がないというのが、その理由かもしれないし、そうではないかもしれない。ここの野球もキャッチャーなしで、ピッチャーもグローブなしで裸足。レフトの後ろでは20~30人がサッカーの練習をやっていたが、やはりこの中にも裸足の人がいた。

ここはスペイン人が最初にまちを作った場所らしいが、そのときの名残か非常にまちの作りがまとまっている。また、あちこちに畑があったりバナナの木があったりして、緑が多く、警官も豊か。曇天もようだったため海はたいして印象に残らなかったが、晴れていればおそらくかなりきれいなブルーじゃないかと思わせるような海水ではある。

ここでもたまにチーノと言われたり、ジェッキーチャン(ジャッキーチェンと言っているつもりのよう)と言われたりするが、これまでのまちに比べると少ない。それとは反対に高校生くらいの女の子が、にこにこしながらチャーオと言って手を振ってくる(2人だけだけど)。これは初めて。やっぱそうこなくちゃ。

観光地ということでか、市内の簡単な地図も手に入る。1.4cuc。自転車のレンタルもしているようだったが、パス。

カカオが特産ということで、1店舗だけチョコレート専門の店があった。ドイツ人らしきカップルが入ろうとしたが入り口で、服装を理由に断られる。確かにラフだが、別にたいしたことではない格好のようだったのに。なぜダメなのかよくわからない。ぼくはなぜかOK。Tシャツにジーパンにランニングシューズなのに。

ここで3種類のチョコ料理を注文。ひとつはホットチョコレート(いわゆるココア)で、もう一つはNotillo de chocolateというもの、それからチョコのアイス。

ココアは日本で普通飲まれているものよりももったりしていいてスプーンで混ぜると葛湯のような感じ。味はそう変わらない。もう一つのNotilloは、チョコのペーストが丸いカップに入った形で出てくる。どうもパンか何かに付けて食べるためのもののよう。でも、パンは頼んでないので、それだけ食べる。味はチョコというよりも小豆の水ようかんみたいな味がする。なぜこんな味がするのか不思議。どうやって作っているのか? チョコアイスはバスに乗っている時に買ったチョコと同じ味。ぼくとしては2度は食べなくていい味。あまりうまくない。

ここは海辺のまちと言うことで魚市場みたいなところを期待したのだが、見あたらず。小さな野菜売場くらいしかない。

空は相変わらずの曇り空。暗くなってきた6時過ぎに宿に戻る。シャワーを浴びてからご飯。

ご飯は別料金で6cucと言われ、高いと思い躊躇したが、宿主のお母さんが作ると聞いて、これは試さないとと思い頼んでいた。料理は豆ご飯と焼いた白身魚にトマトペーストがかかっているもの、キュウリ・トマトのサラダとピーマン、インゲンの炒め物、それにバナナチップスとパイナップルジュース。トマトソースはニンニク(スペイン語でアホ)が効いていてうまい。

サンティアゴでは、宿が飯なしで25cucで高かったし、安そうなレストランを見つけられなかったので、ピザとパンしか食っていなかった。なので、まともな食事は久しぶり。今日の宿はあたりだ。

夜は本を読んだり、寝たり。家の人はテレビを見ているようだったが、22時くらいには音がしなくなったので、これくらいの時間には寝てしまっているよう。
 
おわり。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

韓国の中古車が走ってましたか!
自動車をどうしているかで、その国の産業レベルが分かりますね。ケニアやタンザニアでは「車は左側通行」なので、日本の中古車がたくさん走ってました。個人の自家用車よりも乗り合いバスが主な交通機関なので、日本で送迎バスとして使われいたバンなどがたくさんありました。「◎◎自動車学校」とか「▲▲旅館」とか「××幼稚園」とか走っていて面白かったですよ。ハングルが読めたら、面白かったかも知れませんね。
ネパールではインド製の車、ブラジルは外国メーカーのブラジル現地生産でした。

ぶらぷらびと さんのコメント...

韓国の中古車は韓国のどこかのまちで走っていたバスで、路線図もそのまま乗っていました。ハバナは中国製なんですけどね。