2008年2月28日木曜日

サンティアゴ・デ・キューバ到着

2008.2.26(火)

夜が明けはじめた6時過ぎ、目が覚める。
道ばたの看板にSantiago de Cubaという文字が見え、すでにSantiago de Cuba州に入ったことがわかる。

それから15分ほどして、右手にどでかいモニュメントが見える。道行くトラックバス(荷台に幌をかけてバス代わりにしている)は、通勤のためか満員状態。聞いてはいたが、確かにアフリカ系が多い。ぱっと見た感じで7:3くらい。

バスターミナルに着いたのが6時45分。手荷物を持って降りると、すぐに待合室の方にと案内される。リュックはいつピックアップするのかと思ったら、待合室にピックアップする場所があり、そこで係員のおじさんに荷物の半券を渡し、リュックをもらう。

待合室を出ると、チケットの販売所があり、そこでハバナに戻るバスを予約する。スペイン人とおぼしき観光客が数組いる。

15分ほど待ち、ようやく自分の晩が来て予約が済む
。その際、ぼくの前で予約していたスペイン人と思われるおばさんがスペイン語から英語に通訳してくれる。

チケット売場を出ると、例のごとく外国人観光客を狙った客引きがいる。CASA(カーサ)とタクシー、それぞれいる。

ぼくは昨日、泊まった宿の人が友人のCASAを紹介してくれ、そこの人が迎えに来てくれていたので、客引き攻めは避けることができた。

迎えに来てくれていたのは、20代くらいのアフリカ系の男性。赤いFordのアメ車に乗り込み、カーサに向かう。ここでも馬車が走っており、市民の足になっているよう。

10分ほどして到着。きれいに外壁が塗られている。ブザーを押すと中から上半身裸のアフリカ系のおじさんが出てくる。名前を呼ばれ、そうだというと中に通される。おじさんは英語を解すようで、英語は分かるかと聞かれる。

車のにいちゃんは、ここまでの移動のために雇われていたようで、ぼくに5cucを請求してくる。移動距離はサンタクララと同じくらいだからせいぜい3cucくらいだろうが、朝が早かったし、まぁいいかと20cuc札を取り出すが、お釣りがないという。

そこで、宿主の人に両替してもらおうとするが、その場では両替ができないようで、あとで払えばいいから大丈夫というようなことを言われ、そのタクシーのあんちゃんは帰された。

今回のカーサはなかなかの豪邸。中庭は小さいけれども手入れされた植物があふれ、カフェでも使われているような机や椅子がある。別の部屋にはパソコンもコンポもある。

奥から出てきたこの家の奥さんと思われる人は、髪の毛を赤に染めており、なかなか立派な体格をしている。

部屋を案内される。ダブルベッドに小さな子ども用くらいのベッドが一つある。鏡台に観音扉式の洋服ダンスもある。昨日の宿にあった冷蔵庫や扇風機はない。窓が中庭に向いてあるので、空気はいい。カビ臭くはない。シャワーやトイレは宿泊者専用のようで、プライベートシャワーなんて言って案内される。風呂桶らしきつくりになっており、なかなか豪勢。そうとうな金持ちのよう。

荷物を置くと、宿泊の手続きを中庭のテーブルでする。宿の奥さんは宿帳のようなものを持ってきて、そこにいろいろ書き込む。パスポートを見せ、ぼく自身のサインもする。値段を聞くと食事なしで25cuc(3000円)。

事前の情報では15cucからあるということだったし、ロンリープラネットに紹介されているカーサでも20cucだったので、予定外の出費だ。昨日の宿の2倍だし。が、今更出ていくわけにもいかないので、それで我慢する。お値段は2泊するので50cuc。アメリカを入れてもこの旅の宿泊費の最高値だ。

宿帳を見たらぼくの前の人たちからは30cucとっているようなので、多少は安くしたようだが、日本でも今やネットカフェであれば2000円もあればゆったり泊まれるので高いという印象は免れない。

手続きをするときに、手元に指さし会話帳を持っていたので、それを見せると"Que bien(いいね)""Que bonito(なんてかわいらしい:直訳)”と奥さんは絶賛し、近くで植物に水やりをしていた旦那に、イントロダクションの部分(スペイン語)を読んで聞かせる。

ぼくは中庭でしばらくここの地図を眺め、今日のルートづくり。そこへお茶を出してくれる。果物とかはいらないかと聞かれるが、あとでおカネを請求されても懐が厳しいので断る。お茶はジャスミン茶のようだったが、久しぶりにお茶を飲んだ。たぶんロス行きの飛行機の中で緑茶を飲んで以来。

8時過ぎに宿を出て中心部に向かう。地図状では中心部まで200mくらい。ハバナに比べると一本一本の
路地が狭く、車一台と人が2~3人横になるといっぱいというくらい(3~4m程度)。

路面には軌道が残っており、以前には路面電車が走っていたようだ。湾に面したまちということで坂道が多い。

セスペデス広場がまちの中心になっており、その広場を囲む形で銀行や電話局、高級ホテル、大聖堂が建っている。

ジャマイカの宿の予約の返事が気になったので、ネットをやろうと、その1画にあるHotel Casa Grandeの警備の人にここでネットができるか聞いたら、ダメだと言われる。どこでできるか聞いたらあっちの方というので、そっちに行くとサンタクララでネットをしたのと電話局の店舗があったので、そこに行く。

が、閉まっている。入り口のドアに書いてある開店時間を見ると8時半となってり、時計を見るとすでに数分は過ぎている。あとから来た男性もドアが開かないのに舌打ちをする。あっと言う間に列ができ、ぼくは2番目で中に入る。ネット用のカード(1時間ぶん6cuc=720円)を書おうと20cuc札を出すが、またもや釣りがないからそこの銀行で両替してきてくれと言われる。

やれやれと思いながら、銀行に行き、”マシ ペケーニョ ポルファボール”と頼む。するとすべて5cuc札に替えてくれた。

それを持ってまた電話局の店舗に行き、カードを買う。パソコンは4台あり、ぼくのほかは誰も使っていない。カードの裏面を削ってログイン番号と暗証番号を確認し、ネット開始。日本語を読むこともできる台だったようで、ラッキー。ジャマイカの宿からはまだ返事が来ていない。

その後、海が見えていたので、そちらの方に向かって歩く。するとレタスをぶら下げて歩いている人とすれ違ったので、その人が歩いてきたと思われる方へ行く。

角を曲がると一輪車にレタスをいっぱいのっけて売っている人がおり、その近くには子豚が何やら道ばたに落ちている物をついばんでいる。

左手には青いバナナを大量に乗せた大型トラックやハンバーガーの屋台が2台見える。食らい建物の中から人が出てきているので、そこに入ってみるとそこが市場になっていた。

一見してハバナよりも種類が多いことがわかる。トマトやカボチャ、ピーマン、バナナ、マンゴー、キャベツなどハバナにあったものの他に、オクラなどもある。

野菜や果物はぜんぶで20店舗(区画)くらいあったが、肉売場はさびしく3店舗ほどしかない。例のごとく豚の頭部がぶらさがっていた。

バナナを買う。5ペソ。10本以上ついている房で、重さは2kgくらいありそう。それから声かけられた店でマンゴーを1個買う。3ペソ。やっぱり食料品は安い。

それから外の屋台で豚のハンバーガーを買う。5ペソ。皮や脂身が入っており、ちょっとしつこい。

バナナを食べながら海に向かう。歩いて5分ほどで海岸通に出る。ここは湾になっており、公園も整備されていた。そこでは小学生が10人ほどで演劇の台詞合わせのようなことをしていた。ベンチではホームレスと思われるおじさんが2人、しゃべっている。また、トランペットの練習をしている若い男性もいる。湾内には工業用らしき船が何隻か見え、その奥にはカストロたちが革命の初期に拠点としていたシエラマエストラと呼ばれる山々が見える。山々は緑がうすい。

ベンチで一休みして、適当に歩き始める。しばらくあるくと、人が多く集まっている所に出た。散髪屋や商店があり、その先には椰子の葉で屋根を葺いた店々が並ぶ、これまた市場みたいなところが見えた。

店は10店舗ほどしかないが、量が豊富だ。店の人からチーノと声をかけられ、買わないかと言われるが、料理ができる宿でもないので断り、ぶらぶら見て後にする。

来た道とは違うルートで中心部に戻る。カーサのマークを出している家が何軒もあったので、紹介してもらわずに自分で探せば良かったなどと思う。

多くの家がドアを開けはなっているので、中をちらっと見るとだいたい年寄りが椅子に腰掛け、テレビを見ている。そうでなければ、外を眺めている。

朝方は、気温が20度ちょっとと涼しかったが、だんだんと暑くなってきた。のどが乾いたので、ペットボトルの水を探すが、ガス入りばかりでガスが入っていない物が見あたらない。また、朝飯もハンバーガーとバナナだったので、何か他の物を思ったが、街角で売っているのはハンバーガーばかり(挟んでいるものは多少違うが肉ばかり)。メキシコが恋しくなる。

道には人があふれ、小さな広場のベンチもおしゃべりする人でいっぱい。専業主婦とは思えないが、生活用品(洗剤など)の店には行列ができている。

列ができていた道ばたのマンゴーのソフトクリーム屋でソフトを買う。1ペソ。これは、まずまずいい。これまでいくつか食べてきたが、どれもうまいとは思えないものばかりだったが、今回はあたり。

ぶらぶら歩きながらモンカダ兵営の博物館を目指す。途中にあったコッペリアというキューバで人気のアイスクリーム専門の喫茶店(屋外だけど)にはハバナと同じように行列ができていた。制服を着た子たちもいたが、平日の昼前に、こうしてアイスを食べられるなんて、どういう人たちなのだろうと不思議に思う。

30分ほど歩いて目的地に到着。モンカダ兵営は外壁がマンゴー色にきれいに塗られていたが、カストロたちが襲撃した時の銃弾跡は残っていた。ここは今、一部が博物館となり、その他は学校として使われているようだった。

カストロたちは100数十人でここを襲撃して、革命ののろしを上げた。展示物もそうした襲撃するまでの説明や襲撃の際に政府に捕まって拷問を受けた人の写真、当時使っていた銃や剣などが展示されている。がここは説明文がすべてスペイン語。1cucという値段なので、しょうがないか?

それから、この後に行くグアンタナモ行きのバスが出ているターミナルを探して歩く。これまた20分ほどかかったが、朝、バスが停まったターミナルと同じだった。意外と近い。

外国人は基本的にViazul(ビアスール)という会社のバスを使うことになっているが、これとは別に地元の人たちが使っている交通機関がある。グアンタナモ行きのビアスールのバスは1日に1本、朝7時45分発のみだが、トラックバスだと何本もあるようだった。

歩いていたら道ばたで弁当を売っていたので、それを買う。15ペソ(約60円)。炒めた白いご飯に蒸した豚肉のスライスがどばっと乗っていて、野菜はトマトが2切れだけ。

座る場所をきょろきょろ探すと、自転車タクシーのおじさんがここに座れとタクシーの座席を貸してくれた。

飯を食って、近くに見えていたスタジアムを見に行く。何かやっているかと期待して行ったが、さすがに平日の昼間は何もやっていなかった。

帰り別の自転車タクシーのおじさんがセントロ(中心街)まで連れていくと執拗に売り込んでくる。値段を聞くと3cuc。歩けない距離ではないので、数度断るが根負け。2cucにしてもらって乗る。

途中、おじさんは建物を指さし、あそこがビール工場だとかここがなんとか通りだとガイドしてくれる。

セントロに行くには坂を上らないといけないのだが、おじさんはギアを替え(ギアが付いているとは知らなかった!)立ちこぎで昇る。なんだか悪い気がしてきたんで、かなり近くまで来たところで降り、3cuc渡す。するとおじさんは”グラシアス セニョール”と言って去っていった。

セントロに戻る途中の店でやっとガス抜きの水を発見。1.5リットルを0.7cucで買う。

セントロの広場で一休みし、雲行きが怪しくなってきたので宿に帰る。雨がぽつぽつきた。が、宿の場所がいまいちわからない。近くまで来ているが、街路の番号の振られ方がわからず。どこに行こうとしているのかおばさんに聞かれたので、宿の住所を見せると、もう1本向こうの道だと教えてくれる。

そして、無事到着。着いたら雨が強くなった。

夜は本を読んだり、寝たり。飯はついていないから、夕食はなし。

結局、この日食べたのは、豚のハンバーガー1個とマンゴー1個、バナナ8本くらいと豚肉とご飯の弁当1個、それにソフトクリーム2個だった。

レストランもあるが、観光客向けで高いのでやめた。地元の人向けのレストランを探すが見あたらないのがつらいとこ。まぁ、聞けばいいんだけど、聞いてもたいていが観光客用の10ドルくらいのところを紹介されるのが、またつらい。日本でも滅多に10ドルなんて使いませんから。

おわり

0 件のコメント: