080310(月)
昨日はハバナはずいぶん寒かったが、今日はだいぶ天気がいい。
午前中は日本大使館に訪ねごとをするために行く。P1のバスに乗って大使館のあるMiramarという地区に行く。この地区は高級住宅街だそうで、たしかに豪華な一軒家やマンションが目に付く。ホテルがまた豪華で、ハバナにこんなホテルがあったのかと驚く。
メキシコシティと違って、日本大使館が入っているビルには日の丸がぶらさげられており、これでここにあるのだということがわかる。ビルに向かっているときにパスポートをもってこなかったことに気づく。メキシコシティではビルの1階の入り口でIDを求められたので、それと同じだと入れないなと思いながら、とりあえず行く。
ビルに入ると普通のビルのように受付はあったが、検問はない。素通りできそうだったが、受付の人がこっちを見ていたので、念のため日本大使館に行きたいと伝えると”five"と5階にあることを教えてくれる。
エレベーターに乗り、5階へ。エレベーターを降りるとさすがに警備員がいる。けっこう年がいってそうな年輩のおじさんで、一応銃は持っているが弱そう。「こんにちは」と日本語で話しかけてきて、誰に会いたいかと聞いてくる。誰にと言われても誰でもいいので、ツーリストカードについて聞きに来たと日本語で伝えるが、どうもわかっていないよう。
片言スペイン語まじりで伝えるが、やっぱり伝わってなさそう。ここで、やっぱりパスポートの提示を求められたが、持っていないというと、大使館の閉まっているドアの横にあるドアフォン(?)で大使館の職員にスペイン語でそれも含め来客を告げている。
すぐに職員が出てきて用件を聞かれる。用件を伝えると中に入れてくれる。
重たいドアを入るとロビーになっていて、机の上には日本の主要4紙の新聞が積まれている。本棚には日本語の雑誌もある。雑誌は数年前のものばかりで古い。
ツーリストカードについて聞く。ドミニカからカンクンに戻るときにハバナでトランジットで24時間ほど空港内で待とうと思ってるのだが、ツーリストカードはそうした滞在でも必要なのかが知りたかった。事前の情報では24時間以内の滞在ならツーリストカードはいらないというような話もあったが、定かでなかったため。
キューバの入国審査はこれまで2回ともひっかかっているし(最終的に問題はなかったが)、ツーリストカード代も25CUC(約3000円)するし、さらにいったん入国したら今度は出国税としてプラス25CUCがかかるので、できればドミニカからの帰りはキューバには入国せずに済ませたいのだ。
職員は一旦事務室に行き、別の職員に確認してくる。それによるとツーリストカードは入国時に必要なものなので、入国しなければ(入国審査を通らないなら)必要ないとのことだった。
ただ、これまではカンクンでもキングストンでも空港でのチェックイン時にツーリストカードの提示を求められたので、その点について聞くと、説明すれば大丈夫だろうが、厳しいところではその場で買わされるかもしれないとのことだった。
対応は丁寧で、一通り知りたいことを教えてもらう。それでありがとうござましたと伝えると、”新聞などもあるので良かったら読んでいってください”と言われる。
その親切な対応にのっかって、ロビーの壁に貼られていたパンフレットの残部があればもらえないか訪ねる。職員はたぶん大丈夫と事務室に戻り、そのパンフを取ってきてくれ、ありがたくいただいて帰る。
パンフレットは「キューバにおける日本のプレゼンス 日本・キューバ交流開始100周年」というタイトルで、キューバへの日本人移民のことなどを紹介している。
しばらく高級住宅街を徘徊。小さなショッピングモールにはベネトンやアルマーニの店もあるが、ほかと同様店内は暗い。
バスに乗ってホテルハバナリブレの近くにあるクバーナ航空に行く。20分ほど待ってリコンファーム完了。対応は相変わらずそっけない。
それから革命広場にある内務省の壁に描かれている(正確には電飾されているものなので描かれてはいないが)下バラを見に行く。
革命広場に行く道すがら病院の前の路上で古本を売っているおじさんがいた。日本にいる間にみたカストロへのインタビュー番組の本があったので、しばし迷うがその値段にまけ買う。値段は40ペソ(約200円)。スペイン語だからたぶん読むことはなさそうだが、記念に購入。
革命広場には、観光バスが5台ほど停まっており、ヨーロッパ系の観光客がわさわさ歩き、ゲバラの前で写真を撮っている。
さっきの本を買ったことでペソがなくなったので、アストロのバスターミナルに行く。そこで3CUCをペソに両替。今日もレートは1CUC=24ペソだった。
ターミナルはこの間、来たときと同様バスを待っている人がいっぱい。ターミナルの中にある本屋にさっき買った本がいくらで売っているか見に行くが店内にはなし。
歩いて宿に戻る。途中、のどが乾いたので道ばたの店で2ペソのタマリンドのコップジュース1杯、バディード(シェイク)1杯、1ペソのサトウキビコップジュースを飲みながら帰る。キングストンではありえない安さ。経済面だけで言えばジャマイカよりもキューバの方が圧倒的に”発展途上”だなと感じる。
歩いていたらたまたますれ違った日本人に話しかけられる。大きな荷物を持っており、聞くとサンティアゴ・デ・キューバなどに行って戻ってきたところらしい。安い宿を探しているようで、それを知っていれば教えてくれないかという。
ぼくが泊まっている宿は、宿主と仲介者間の取り決めで、メールでの予約なしの人間は泊められないが、宿の近くのCASAマークが出ているところを案内することはできると言うと、それでもいいというので、バスに乗ってカピトリオまで行き、宿の近くのCASAマークがあるところを案内する。
泊まっているすぐ近くのCASAマークを出している建物の人に一泊いくらか聞くと食事なしで25cuc(約3000円)と言う。その人は予算の上限が20CUCだそうで、そこまで値下げできないか聞く。話していた女の人はちょっと待ってと電話する。
電話が終わったので、また安くできないか聞くが、スペイン語なのでなんと行っているのかわからない。ただ、仕草から泊まる部屋はマークを出している建物ではなく、ぼくが泊まっている宿(10階)が入っているビルの9階だというようなことがわかる。
そして、そこのおばさんがここに迎えに来るという。しばらくしてやってきたおばさん(というよりもおばあさんに近い)は、エレベーターで見たことのあるおばさん。”Vamos(バーモ)"
というので、着いていくがなんか嫌な予感。
入り口で宿主のおばさんとすれ違う。ああ、こりゃまずいなと思うが、どうしようもない。
9階の部屋に案内され、その日本人の人はもう一度価格交渉をするが、20cucから下には下がらない。とりあえずそれで数泊することにするが、もっと安い方がいいというので、もしもの可能性を考えてぼくが泊まっている宿にも連れていく。
ちょうど宿を仲介している日本人女性(見た目40代後半:以下、仲介者)が宿にいたので、泊まることはできるか聞くが、やはりメールでの予約なしでは泊まれないと言う。
普通の宿なら部屋が空いている限り大丈夫だから、なぜだめなのか聞くと、その仲介者が言うに、以前は予約なしで受け入れていたときもあったが、家族の方が事前連絡もなしに次から次に来る客にストレスを感じて嫌になったからだという。それで客をコントロールするためにメールでの事前予約のみにしたらしい。
仲介者はひととおり説明した後、彼にどこに泊まっているか聞く。9階だと言うと、う~ん、それはそれでけっこうまずいかも、と仲介者は言う。
なぜか聞くと、ここの宿主と9階のおばさんは以前、客を巡って大喧嘩したらしい。具体的には、当時10階は1泊15CUC(食事つき)でやっており、9階は1部屋20CUC(食事なし)でやっていた。最初に日本人の客がついたのは10階の方だが、9階のおばさんはエレベーターで乗り合わせた日本人に自分の宿の名刺を渡したりして宣伝したら、2人連れの旅行者を中心に9階に客が流れたらしい。キューバでの5CUCはでかいので、無理もない。
それに怒った10階の宿主は、仲介者にメキシコの宿にある情報ノート(旅人が各地の旅行情報を書き込んでいるノート)に書かれている9階の宿の宣伝記事や名刺を消してきてくれと頼んだりし、また仲介者も実際にそれをして、もう9階には日本人が行かないと安心していたところだったらしい。
そこへ意図せざる結果とは言え、結果的にぼくが9階に客を紹介した形になったため、その仲介者は”まずい”と思ったよう。
仲介者は宿主に相談してくると言って宿主のところへ。面倒なことになったと2人で話ながら、仲介者を待つ。最終的には10階の宿主と9階の宿主が話をして、その日本人も2泊目以降は10階の宿泊者と同じく食事つきで15CUCに。この結果もよくわからない。
ぼくが最初にハバナに来たときはスウェーデン人の家族が10階と9階に別れて泊まっていたので、大喧嘩以降、10階と9階の間でなんらかの約束ごとができているのだろう。
その後は、宿にいる。ハバナは通算1週間ほどだが、さすがに飽きてきた。スペイン語がわかればもっと違うだろうが、歩ける範囲は歩き、だいたいの雰囲気はわかった気になってしまった。それからキューバでの予算はほぼ消化してしまったので、博物館などに行くのもちとつらい状態。
明日明後日と西のタバコ生産地などに行くつもりだったが、バス代が厳しいこともあり、ドミニカに行くまでハバナにいることにする。
おわり
2008.3.14(金)
サント•ドミンゴよりアップ
0 件のコメント:
コメントを投稿