2008年2月6日水曜日

ハプニング発生(?)ーアメリカ入国の巻(2008.1.30 その2)

9.11以降、アメリカの入国審査が厳しくなっていることは聞いていた。
知り合いの人に聞いても、バックの中を開けられ、入念に見られたらしい。

着陸が近づくにつれ、あれこれ質問責めにあうとなると面倒だな、とうっとうしくなる。

加えて気圧の変化に敏感なぼくの耳は、高度が下がるにつれだんだんと痛みだし、
果ては針でつん裂かれるのではないかというくらいになる。そ
れぞれの手でそれぞれの耳の穴を強く圧迫して、ふさいでいるとだいぶ痛みが違うから、
そうしていると、右隣のおばちゃんもどうも同じ痛みにさいなまれているようだった。

着陸して、痛みが治まったとき、おばちゃんに「You have a pain?」と聞くと、
イエスイエスと言って、日本に行くときはなんともなかったのに、こんなの初めてと言った。

どうせ荷物をピックアップするのに、時間がかかるだろうと、一番最後に飛行機から降りると、
入国審査には長蛇の列が既にできていた。蛇腹状に6列ほど、100人はかるくいる。

長机に置かれていた入国カードと税関審査のためのカードをとり、書きながら並んでいると、
どうも入国カードが自分に合っていないことがわかってきて、最初に取った白色のではなく、
もう1種類緑色のカードを取りに戻った。

というのも、最初に取った白いカードにはビザに関する質問があったため、
ビザを持っていない(必要としなかった)ぼくはviza waiverと書かれている緑色のを
記入しなければいけなかったのだ。

ちなみにこのときぼくはwaiverと聞いてメジャーリーグのドラフト制を思い出しただけで、
この言葉の意味はすぐにはわからなかった。

カードを取り替えるために並んでいた列から外れたので、また最高尾に並んだわけだが、
この行動がこの後、ちょっとしたことになることになるとはこのとき思っていなかった。

やっと長い行列が消え、あと5人ほどでぼくの番になろうとしたとき、
並んでいる人たちの記入をチェックしていたメキシコ系の係員の人が、
ぼくの前のコリアンのカップルとぼくを手まねきし、あっちに行けと言う。

そっちはアメリカ人専用の入国審査コーナーで、アメリカ人のぶんは早々に終わり、
空っぽになっていた。並ぶ場所を変えてすぐに、元いた列は審査が進み、
ぼくのすぐ後ろにいた人はすでに審査を受けていた。

並び変えたこちらは、前にいた中国系のおばちゃんの審査が長引いていた。
どうも英語がわからないようなので、同乗していたのだろう先に審査が終わった
別のおばちゃんを呼び戻し、審査官の言葉を通訳してもらっている。

前に並んでいたコリアンのカップルも元いた列を見て苦笑いしていた。

とそのとき、館内のアナウンスがなった。
「○○航空をご利用になりました○○様、荷物を必ずお引き取りくださるよう、お願いします」

○○様は、何を隠そうぼくの名前だった。
最初は英語で、次は日本語で同じ内容のアナウンスが2度流れた。
ロサンゼルスの空港で名前を呼ばれるなんて、へへ、
と思っていると目の前に日本人らしきスタッフが現れたので、
あのぉ、と声をかけると、すぐさま、「○○さんですね」と日本語で聞かれる。
○○航空の日本人スタッフだった。

「そうです」とぼくが答えると、ちょっと記入を見せてくださいとカードをチェックされて、
記入ミスと記入漏れを指摘される。

日本語の方がいいですよね、と審査官の台の下にあった日本語のカードを持ってきてくれる。
ちょっと、なんでそれを後ろに置いとかんとけ?
と心の中で思いながら記入をすませたところで、順番が回ってきた。

さてさてなにを聞かれるのだろうと思って構えていると、聞かれたのは目的と滞在期間だけで、
あとは左指、そして右指の順番に指紋を取られ、最後に「foto」と言われ、審査官のパソコンの
横に付けられている小さなカメラ(パソコンでテレビ電話するときに使うようなやつ)を見て、
おしまい。全部で3分もかからなかった。

それからひとつだけどけられていたリュックをピックアップして、次に税関審査。

審査のカードを係官に渡し、荷物の中を見せろと言われるかと思いきや、どれくらい滞在するか、
目的は何か、友達はいるか、と聞かれておしまい。

友達はいるかと聞かれたときには、意図が分からなくて聞き返したが、
アメリカに友達がいるかと聞いていたようで、一旦イエスと答えたのを撤回し、ノーと答えなおす。
それでおしまい。

飛行機を降りてからここまでですでに1時間半ほどがすぎていた。

ようやく自由の身になったところで、今度は、どうやって宿まで行くかである。

つづく

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