2008年3月23日日曜日

『コロンブスからカストロまで Ⅱ』より

E.ウィリアムズ(川北稔訳)『コロンブスからカストロまで Ⅱーカリブ海域史、1492-1969』岩波現代選書

カリブ海域の奴隷制度は19世紀のうちに次々と廃止される。
1803年 デンマークが奴隷貿易を廃止
1807年 イギリスが奴隷貿易を廃止
1817年 フランスが奴隷貿易を廃止(1802年にナポレオンが復活させていた)
1820年 スペインが対英条約の中で奴隷貿易の廃止を約束
1818年 オランダが奴隷貿易を廃止
1824年 スウェーデンが奴隷貿易を廃止
1833年 英領の諸島で奴隷制度そのものを廃止
1846年 スウェーデンが奴隷制度そのものを廃止
1848年 フランスが奴隷制度そのものを廃止
1863年 オランダが奴隷制度そのものを廃止
1873年 プエルト・リコで奴隷制度そのものが廃止になる
1880年 キューバでで奴隷制度そのものが廃止になる

カリブ海域における奴隷制廃止の要因
1.経済的要因
1-2
「奴隷制の廃止ものまた、基本的には19世紀になって、この制度が本国経済に対して以前のような意味をもちえなくなった」

例:キューバを除くカリブ海の諸地域では、奴隷解放前夜には生産が停滞ないし減少の傾向にあった。

2.政治的要因
本国側の要因
奴隷制の廃止は「1789年のフランス革命によってフランスで生まれ、1832年の第一次選挙法改正とともにイギリスで発達し、1846年のイギリス穀物法廃止によって勝利をおさめ、合衆国の南北戦争における北軍の南軍に対する勝利によって絶頂をきわめた、かの産業ブルジョワジーの地主貴族に対する闘争の一局面であった」

また「奴隷解放は民主政治を志向するヨーロッパの産業プロレタリアートの運動の一部でもあった」

植民地側の要因
19
「スペイン領の植民人の観点からすれば、奴隷制の廃止は、キューバの独立とプエルト・リコの自治確立を求める闘争の一部であった。」

3.人道主義者の宣伝

4.国家間及び植民地間の抗争
42
「スペイン人やキューバのプランターから見れば、キューバの開発を可能にする前提条件はただひとつ、ニグロ奴隷の貿易だけであった。・・・・・・
しかし、キューバの前途は多難であった。すべての国が奴隷貿易を完全に廃止すべきだとうキャンペーンが、すでにイギリスによって始められていたからである。・・・・・・
イギリスがこのような政策を打ち出したのは、ひとつには国内で奴隷貿易廃止論者が盛りあげた熱狂的な世論のためであったとはいえる。しかし、より根本的な理由はーとくに1807年のイギリス奴隷貿易廃止以後はー、毎年奴隷を輸入することができなくなった英領西インド諸島のプランターを、依然として奴隷貿易を継続しているキューバやブラジルの砂糖生産者との競争から保護しなければならない、という事実にあった。」

5.社会的要因
フランス革命に影響を受け、ハイチが1798年に独立

それに影響を受けた各諸島で反乱が頻発

106
「労働力の問題を移民によって解決するには、解放奴隷やその子孫のことは一切顧みないことが必要だったのである。」

168
「マルティにとっては、キューバの至上の課題は独立であった。キューバがニグロの奴隷制を基盤にしている限り、独立はない。マルティにとって奴隷解放とは政治的要請というより道徳的要請であった。キューバ共和国は「万人のための万人のもの」でなければならない、と彼は考えていたのである。「万人」という言葉のなかにニグロが含まれることを、彼は一瞬たりとも疑ったことはなかった。」

291
「現在のカリブ海地方は不安定さを特徴とする一地域である。それはまた政治的、経済的分裂主義と国制の多様制、経済的、心理的、文化的、さらに政治的な対外依存性および大量の失業と潜在失業、経済不安、未解決の人種対立、潜在的な宗教紛争、苛立つ若者たち、いたるところで感じられる合衆国の脅威など、いまだに無数の問題を抱えた地域なのである。」

「過去の歴史がこのようなものである以上、カリブ海てょうの未来については、それが一つの地域としてのまとまりをもちうるかどうか、この地の人びとが一つの国民としての意識を持ちうるかどうかが唯一、最大の関心事である。」

316
「「歴史の研究とは、戦闘と政治家、年代と事件を記録することではない。人間の愚劣さや欠陥を衝くことでもない。形態はいろいろなのだが、いずれにしろ人間性が陶治されてゆく過程、人々の生活や社会が発展してゆくさまを記録することこそが歴史なのである」」

フランス革命を知るにはワズワースを、ピューリタン革命を理解するにはマーヴェルを

08/03/22 カンクンよりアップ

0 件のコメント: