2008.3.3(月)
空港を出る前に税関審査横にあった両替所で両替。日本円も両替できるようだったが、あとはアメリカドルしかないので、アメリカドルをジャマイカドルに両替。1USD=63ジャマイカドルくらい。これがどれくらいなのかはよくわからない。
空港を出るとタクシー乗り場があり、そこででっかいおじさんが、どこに行くのか聞いてくる。早口でよく聞き取れないが、今日泊まる宿の名前を言うと、わかるわかるというようなことをいう。
空港のインフォメーションで地図を買いたかったが、おじさんがそんなのまちで買えばいいみたいなことをしつこく言う。そして、すぐにタクシーに乗るよう言う。まったく強引なおっさんだと思いながら案内されたタクシーに乗る。車はきれいなトヨタのワゴン。8人乗りくらいだが、ぼくが乗るとすぐに発車する。
料金を聞くと37ドルと言う。事前の情報だと20ドルで行けるということだったが、値切ったりするのが面倒なのでハイハイとそれで行ってもらう。
海岸線に沿って車は走る。新しい車とあってキューバと違って車内は静かだ。さすがは資本主義の国、いろんな広告看板が道路沿いに立てられてある。走っている車はTOYOTA,、ホンダ、三菱、スズキなどほとんどが日本車。車体もきれいで排ガスも出ていない。
キューバでは日本車はほとんど見なかったため、隣の国でこれだけ日本車が走っているのに驚く。
道沿いの広告看板は、モデルとなっている人がアフリカ系で、ヨーロッパ系は見ない。この辺りもキューバやメキシコと違う。窓から見ても歩いている人たちは、みなアフリカ系だ。
『コロンブスからカストロまで』という本にあったが、ヨーロッパでも各国によって植民地政策が違ったため、どこの国に支配されていたかによって、現在の人種構成が違うらしい。
ジャマイカのようにイギリスによって支配されていた地域は、将来イギリスから独立をするような地域にならないように、ただプランテーションとしてのみ位置づけられていたため、一時はイギリスからも白人系の人(囚人など)が労働力として送り込まれたらしいが、きつい労働に耐えられず、白人の移民は定着しなかったらしい。イギリス国内でも植民地に移り住みむことは、感覚としては流刑のように考えられていて、白人系の人等がこぞって移民してくるようなことにはならなかったらしい。
一方、キューバなどスペインが植民地にしていたところは、モンゴロイド系の先住民は、場所によっては絶滅させられるが、一攫千金を狙って(だけではなかったろうが)、白人が大量に移り住み、ヨーロッパ風の街や大学なども作られ、主に支配層として白人が定着していったらしい。
車は家が立ち並ぶ地域に入っていく。道ばたでは、ジュースやお菓子、パイナップルなど果物を売っている人がいる。が、少ない。
首都というので高層ビルもあるのかと想像していたが、それらしきものは見えてこない。路上を歩いている人も学校の制服を着た子どもたちばかりで、キューバと比べると人通りが少ない。
そのうち立派な門に広い庭がある豪邸が山の手の方に見える。後から確認するとビバリーヒルズという金持ちが住む地域だったよう。きれいな家は、どの家もがっちりとした鉄柵が門の所に付けられており、家の周囲は3mくらいの壁で囲まれている。
一方で、短いトタン板を貼り合わせて作ったような家々が集まっている地帯もある。
照明も付いている大きなスタジアムの脇をとおっていたとき、運転手がジャマイカでは特に何か目的があるのかと聞いてくる。それでとりあえずボブ・マーリーの博物館に行きたいというと、そこを通ってから宿に行ってもいいがどうすると聞かれる。
これでまたガイド代を取られるかもなと思う一方で、高い運賃を払っているから、それくらいはサービスでやってくれるかなとの淡い期待も持つ。結論を先2に言うと、ガイド料ではないが釣り銭がないという理由でやはり1ドル上乗せしとて取られる。
壁にボブ・マーリーの肖像が書かれた博物館前を車は通る。それから5分ほど行くと右手に古いヨーロッパ調の建物が見える。入り口にDEVON HOUSEとあり、これの前を通るときに運転手があれこれと解説してくれる。しかし、ジャマイカ英語ということもあり、ほとんど聞き取れず。ただ、ここのアイスクリームはジャマイカ内で一番うまいと言っていることはわかった。
それからすぐにバスターミナルやスーパーなどが立ち並ぶ通りに入る。ここでも白人系の人を見ることはない。観光客らしき人もまったく見ない。車は山の方に向けて走り、繁華街から10分もかからないうちに宿の前に到着。この宿も入り口は鉄製の門。
40ドルを渡すと37と言っていたのが、38ドル取られる。まぁ、どうでもいい。
ブザーを押すとインターフォンから声がして、鍵を開けてくれる。ちょうどこの宿に泊まっている日本人の女の人も帰ってきたところで、同じタイミングで中に入る。
宿は日本人ばかりが泊まる宿。部屋を案内され、宿代1泊40ドルを払う。この旅、最高額。部屋は15畳ぐらいあり、キッチン、バスルーム、冷蔵庫が付いている。ベッドはふたつ。20ドル程度のドミトリーの方は満杯だったため、こちらになった。
無駄に広いだけであまり居心地はよくない。部屋にある机には、在ジャマイカ大使館が在留邦人に向けて出した安全マニュアルがある。平成17年のだったが、誘拐などを防止するための心得が書かれてある。人口当たりの殺人の発生率は日本の60倍などといった数字もあげられてある。
荷物を置いて、まずは両替と地図を買いに行く。宿を出たところで、さっきの人がいたので、その人からキングストンの話を聞きながら歩く。同じ方向に行くというので、ちょっと案内してもらうことに。
その人はキングストン4日目で、それまではモンテゴベイに1週間ほどいたらしい。キングストンの印象は、都会だなぁ、とのことで、モンテゴベイの方はのんびりしていたらしい。観光リゾートということで、今回はモンテゴベイはパスする予定だが、彼女が言うにはモンテゴベイで仲良くなった日本人と一緒にその日本人の友達のジャマイカ人漁師のところに遊びに行ったりしたらしい。
帰りにはこれを持っていけと言ってサトウキビを一本くれたりして、”チョーいい人”って感じだったらしい。そんな話を聞くと、そんな漁師まちに行ってみたくなるのだが、なにせジャマイカには1週間しかいないから、考え込んでしまう。
キングストンのアップタウンの中心街であるHalf Way Treeと呼ばれている一帯の中心にはバスターミナルがあり、そのまわりにショッピングセンターや大きなスーパーや、ファーストフード店が立ち並んでいる。ファーストフード店は地元の店もあるが、ケンタッキーやバーガーキングなど日本にもあるような店もある。
路上の物売りもメキシコに比べれば小規模ではあるがある。バナナチップやスナック菓子、袋に入ったかき氷(ジュースをただ凍らせただけのよう)などを大きな透明のビニール袋に入れて売り歩いている人や販売人を照明するチョッキ(ビブス?)を着て新聞を売っている人、道ばたにシートを敷いてそこに服や下着をおき売っている人、屋台を持っている人はマンゴーやパイナップル、椰子の実、サトウキビ、りんご、みかん(夏みかんに近い)、バナナなどを売っている人やお菓子やペットボトル飲料を売っている。飲み物を売っている人はたいていクーラーボックスを持っていて、その中で冷やしているから路上で買っても冷たいものが飲める。
一方で、人通りがやや少ない路上や店の壁沿いに寝ている人や歩道にじっと座り込んでいる人など、路上生活者と思われる人もいる。小学生くらいに見える子も2人いて、兄弟なのか一緒に寝ている。キングストンにはゲットーと呼ばれている一帯があるが、そこにも住まずにこの辺で寝ているということは、こちらの方が安全ということなのか、それともそこに住むことさえできないほど困窮してしまったのか。
両替しようと銀行を数軒案内してもらうが、すべて営業を終了していた。まだ16時前なのに。入り口に書かれている営業時間を見ると平日は8時半14時半までとある。銀行以外に両替所があるならわかるが、ほかにない。キューバでも両替所は夕方まで開いていたのに、それだけ観光にはあまり力を入れていないということなのか、それとも遅くまでやると危険だということなのか、長年の慣習なのか。
というわけで両替できず。空港で20ドルぶん両替していたのが、生きる。
それじゃあと、ボブ・マーリーミュージアムに行くことにする。歩いていこうかと思ったが、ちょっと距離があるようなので、タクシーの運転手のおじさんに乗っけてくれるか聞く。そしたらこっちよりもあっちの方が安いよと教えてくれる。それはわかったが、他にもなにやら言っていた言葉は聞き取れず。
おじさんがあっちの方がと言って指さした先には、マイクロバスをさらに小さくしたミニバスがある。客引きが通りがかりの人に片っ端から声をかけ乗せようとでかい声を張り上げている。
そっちに行くと、なにやら行き先を言っているのだが、それがボブ・マーリーミュージアムを通るかわからない。通るか機構とすると、聞く前からいいから乗れ、というような感じで、バスの中に押し込もうとする。それにあらがいながら聞いたら確かに通るとのこと。またいくらかかるか聞いたら”fifty yen"なんて言ってくる。は?と思ったが、もう1人の人がなんどもジャマイカドル?って聞き返したら笑いながらそうだと言う。ジョークなのか、ふざけているのか、バカにしているのかよくわからん。
ミニバスの客引き兼会計係のにいちゃんは、補助席もすべて広げ、さらに詰めさせ乗客を定員以上に乗せる。立っていいる人もいる。運転は急発進、急停車。バンバンクラクションを鳴らす。
メキシコとキューバは歩行者にやさしい運転の人ばかりで、道路を渡ろうとしていれば進んで停まってくれる車も多かった。またクラクションなんて滅多に聞くことはなかった。が、ここキングストンは車優先。歩行者がよけるのを前提にどんどん突っ込んでいく。さすがにホーチミンほどひどくはないが、それに近い。あ~やだやだ。
乗り込んでから15分ほど満杯になるまで待たされ、車は発車。車内にはレゲエが流れ、隣の若い男の子はそれに合わせて小声で歌っている。
車は渋滞でなかなか進まない。10分近くたった頃、一緒に行動していた日本人の人が隣に座った中学生くらいの女の子にボブ・マーリーミュージアムはまだか訪ねた。ボブ・マーリーの発音がまずいのか、なかなか通じなかったが女の子は理解する。
それからしばらくして女の子が客引き兼会計のにいちゃんに”Bus stop!"と言ってくれる。乗るときにそのにいちゃんにはボブ・マーリーミュージアムに行きたい旨を伝えていたから、てっきりそこに着けば教えてくれるものと思いこんでいたが、どうもそういうことはしてくれない(人だった?)ようで、女の子の声で車を止める。バス代50ジャマイカドルを払って降りる。
バス停からは15秒ほどでミュージアムに着く。入り口を入ったところに制服を着た人がいたので、どこでチケットが買えるか聞く。そしたら、今日はもうクローズだと言われる。時計を見ると16時過ぎ。てっきり17時くらいまではやっているかと思っていたら、16時で終わりだった。まだ明るいのになんでそんなに早く閉めるのか不思議だ。
しょうがないので、日を改めることにして、ここから帰り道にあるデボンハウスに行くことにする。タクシーの運転手がジャマイカで一番うまいアイスを食えると言っていたので、さっそく行くことにしたのだ。
入り口の門を入る。敷地内は芝生がきれいに生えており、木々の手入れも行き届いている。デボンハウスはすぐにわかるのだが、アイスクリーム屋がどこにあるのか一見したところわからない。
それで掃除をしていたおじさんに英語でアイスクリーム屋はどこか聞くと、おじさんは、”そこをまっすぐに言って、あの角を右に曲がる。そしたらゲートがあるからそこを入るとガードマンがいて、あなたを銃で撃つだろう(he shot you)”なんて言う。最後は言ったあとににやりとしたので、ジョークだとわかったが、にやける前までは何を言ってるんだと訝(いぶか)ってしまった。
おじさんが教えてくれたように行くと、確かにゲートがあり、そこを入るとアイスを食べている人がいる。もしやここも16時で終わりではないかと危惧していたが、ここは開いていてくれた。そして、左手に”I scream"の文字が見えた。目立つ色ではなく、建物やまわりの景観とあう色で控え目に書かれているので、よく見ないとわからない。
店は20人も入るといっぱいになるだろうというくらいの大きさ。店内に入ると先客が5人ほどいる。日本のアイス屋と同じように大きなボックスの中にアイスが入っており、それをあのアイスをすくう道具でかき集め、コーンに乗っけている。
値段を見るとシングルコーンが150ジャマイカドルでダブルコーンが250ドル。だいたい60ジャマイカドルが120円なのでシングルでも300円近く、ダブルでは500円近くする。けっこう高いなと思いながらも、ちょっと奮発してダブルコーンを注文する。アイスの種類は20種類ほどあり、迷うが店員さんに聞いたらマンゴとグァバがおすすめだと言う。ぼくはおすすめのうちマンゴとジャマイカのラム酒を使っているだろうラムレーズンを頼む。
注文したらレシートと番号札をもらう。番号札を呼ばれて、はいと前に出るとレシートを出してと言われる。何をするのかと思ってレシートを渡すと、内容を確認して二つに折り、少しだけ縦にやぶる。そして、なにやら言う。聞き取れなかったので、エッ?と聞き返すと”Flavor?(フレイバー:スペルがあってるかは不明)"と言っているのがわかる。
さっきおカネを払ったときに言ったのに、なんでかと思ったが、また伝える。後で見ていると支払いとアイスの種類の注文は分業していて、まずはコーンやカップなどを伝え、おカネを払った後に、別の人がコーンならコーンにアイスを乗っけるという流れになっているよう。
これだけ高いからアイスの量もせいぜい日本と同じくらいだろうなと思っていたら、なにをかいわんや、これでもかこれでもかとボックスからアイスをすくい、乗っけたその大きさ。これには感動した。ひとつの玉が日本の2倍はある。
そして食べたときの衝撃。ぼくのラムレーズン歴(なんて言うほどこだわってはいないが)では間違いなく最高。これまで外国で食べたアイスの中ではモスクワで食べた小さなバニラアイスがベストだったが、これでジャマイカがトップに躍り出た。
はっきり言って日本で普通に売っている100円代のアイスじゃまったく相手になりません(値段もだけど)。これと同じくらいの味のアイスは、まず普通には手に入らない。キューバのアイスがあまりおいしくなかった上、ジャマイカのアイスがうまいなんてイメージはかけらもなかったので、そのぶん衝撃が上乗せされていることもあるだろうが、しかし、衝撃のうまさだったことは確か。
両替もボブ・マーリーもダメだったが、このアイスですべてよしとすることに。
ミニバスでまたハーフウェイツリーに戻る。
宿に戻る道すがら一緒に行動していた人が地図が売っていたお店を知っているからというので、その人を当てにしていたら、宿近くまで来て”通り過ぎたみたい”となる。結局、地図は買えず。水がないので、食料品店でペットボトルの水と明日の朝用にパン、それから新聞を買う。新聞以外は日本円で言えば100円以上するから日本と物価は変わらない。これまでの国のどこよりもどんどんカネが減る。
晩飯はテイクアウトできる店が宿の近くにあるからと言われ、そこを当てにしていたが、そこも閉店。まだ18時をすぎたばかりなのに。
ぼくは1人でまたガソリンスタンドに併設されているコンビニに行く。あったかい食べ物はケンタッキーで売っているようなフライドチキンとピザ程度。あまり食べる気にならないのでこれらはパス。
冷蔵庫にチーズが小さいかけらで売っていたので、それを買う。また、冷凍庫の前に行くとベンアンドジェリーのアイスがあったので、これまた買う。500mlくらいのサイズなので、ちょっと躊躇したが、前々から食べてみたかったこともあり買う。本当ならアメリカで買うべきだったのだが、ロスにいるときにはすっかり忘れていた。
結局、晩ご飯はチーズとパンとアイス。この日は1kg近くアイスを食った。
キングストンは危ないと言われているので、多少ほかよりも気合い入れていたのだが、たしかに写真はこれまでのようには撮れそうにないけど、アップタウンにつ\uc1いu12390 はuc2基本的に明るいうちは大丈夫そう。
夜は危険で買い物に行くのにもタクシーを使った方がいいというような状態なので、6時半に宿に戻って以降はずっと部屋にいる。
買ってきた新聞を見ると一面の記事は"Murder-free day"。記事を読むと、殺人事件が起きなかった日についての記事のよう。今年初めて殺人事件がなかった日は先月2月25日で、これは昨年(2007年)11月6日以来らしい。2007年のトータルではジャマイカ人が殺されなかった日は6日あり、上記以外の日というのは1月10、17、21日、3月17日、6月28日だったらしい。
警察の統計によると2008年1月の31日間で137人が殺されているとある一方で、この新聞(The Gleaner)が把握しているのは210人らしい。そこでタイトルの言葉なのだが、なかなかジャマイカの状況は大変なようだ。
その他の記事としては男女別学に関する記事やベトナムの記事(目のない子どもが生まれてきた。これはベトナム戦争時の枯れ葉剤の影響だろうという記事)など。投書の欄もあり、これは学校内での暴力の問題に関する記事だった。これがジャマイカの現状なのかと思ったのが次の箇所"Many of our students are growing up without parents"。
全体を見ての印象は"peace"という言葉が多いな、ってこと。あちこちでこの言葉が使われている。ジャマイカ(特に都市部だろうが)にとって、暴力(主には銃を使った殺人)をどうコントロールするかが大問題のよう。
あとは今日、一緒に行動した人がキューバにこれから行くというので、キューバの情報提供を少々。
おしまい。
2008.3.7(金)キングストンよりアップ
2 件のコメント:
アンネのバラ友です。
ジャマイカの人口当たりの殺人の発生率は日本の60倍ですか。緊張しますね。
メキシコやキューバと違って、キングストンは車優先。歩行者がよけるのを前提にど
んどん突っ込んでいく。日本のイージス艦と
同じですね。
アイスのシングルでも300円近く、ダブルでは500円近く。マンゴとラムレーズンを頼む
ひとつの玉が日本の2倍はある。食べたときの衝撃。ぼくのラムレーズン歴では間違いなく最高。これまで外国で食べたアイスの中ではモスクワで食べた小さなバニラアイスがベストだったが、これでジャマイカがトップに躍り出た。*おいしそうですね。
夕食時を含めてアイスを1Kgも食べたのですね。翌日の体調は大丈夫でしたか。
アンネのバラ友さま
日記を更新せずにキングストン最終日になりました。昨日もこちらでは日中に銃による札事件がありました。
が、もう出国なのでとりあえず安心できるハバナに戻れます。アイスの次の日は、まったく大丈夫でした。ご心配頂ありがとうございます。
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